イエスは私たちの神でおられる
(ヨハネの福音書14:6~12)
神は
霊でおられる
その方を
見た者はいないし、見ることもできない(ヨハネ1:18)
イエスは目に見えない霊である方の本体のかたちでおられる(Ⅱコリント4:4)
エホバはイスラエルの神、すなわち
アブラハムとイサクとヤコブの神である(使7:30~35)
エホバとは呼び名である(ホセア12:5)
私たちが知って信じて救いに至る名は(マタイ1:21)
イエスである
その方は神の御子でおられるし、父が喜ばれる方でおられる(マタイ3:17)
私たちを救う方は「インマヌエル」でおられる(マタイ1:23)
エホバは人の子、すなわち人ではない(出3:15)
人ではない者は人の罪過を代わりに担うことができない
イエスは女の子孫であり、人でおられる(ルカ1:35)
これから私たちはその方の御言葉を聞いて、(マタイ17:5)
信じなければならない(ヨハネ4:21)
イエスの御言葉は永遠のいのちである(ヨハネ12:49~50)
聖霊はエホバの証人ではない
イエスを証しする真理の霊でおられる(ヨハネ15:26)
聖霊によって生まれ変わらなければ、誰も天に行くことができない
○ 真理の霊によって証しを受ける方が真理でおられる(ヨハネ14:6)
真理だけが私たちの霊魂を自由にする(ヨハネ8:32)
聖霊の証しを受ける方が救い主でおられる(ヨハネ15:26)
○ どうしてバプテスマを受けるのかを知らなければならない
バプテスマによって古い人、古い宗教を捨てなければならない(使19:2~6)
これが生まれ変わりである
○ イエスを見た者は父を見た
父の中におり、これによって
神の子としての権勢を得た(ヨハネ1:12)
※ エホバの名を葬って、
イエスの名を呼ぼう
聖霊によってだけその名を呼ぶことができる(Ⅰコリント12:3)
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 12. 22 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
聖楽教会は満50歳を迎えた壮年であり、経歴、知恵、知識、才知にあふれている。これからは重みがある父、祖父の歳となっていく。今日、大きな教会はひとつひとつの粉が器の中でバラバラに飛びまわっているのではなく、パンのようにひとつのかたまりとなっている。主が「このパンは私の体である。」といわれたように、主の体である教会は箱の中に入っている粉のかたまり、粉が練られて作られたパンのようなものである。
これまでどんなに恐ろしい吹雪のような迫害や嘲弄を受けながら守ってきたであろうか。これは私たちがのちに受ける試練を予め練習したのである。神から与えられた経験を私たちはもっている。教会の根は開拓した牧師である。視無言は聖楽教会の根である。この根が耐えることによって多くの荒波を克服し、今日に至った。
イエスはこの世に来て公生涯をもつときに、初日から嘲弄、迫害、ねたみ、排斥を受けられた。その方が天の種をこの地にまかれるまで、どんなに多くの忍耐と涙があっただろうか。その方は結局、十字架で殺されたが、その瞬間、神の種がよみに根を下ろしたし、私たちはその根から出て来る養分によって永遠のいのちを得た。
私たちは教会を開拓したときに、一日に数千回も「10人を与えてください。10人を与えてください。」と口ずさみながら歩き回って伝道した。神はそのような私たちに10人を与えてくださった。その上に築き上げられたのが聖楽教会である。これから私たちは教会を守ろうという精神をもって、その目的のために互いに力を尽くさなければならない。
誰かが「先生は何を願われますか?」といったときに、私は「私の願いは聖楽教会を守ることです。聖楽教会を守るというのは真理を守るということです。このために私たちはこれから団結して『10人を与えてください。10人を与えてください。』といいながら、自分の霊魂に豊かな実が結ばれるようにしなければなりません。」と答えた。無関心にならないで、「10人だけであっても実を結ぶようにしてください。」と祈りながら、走って、伝えて、証ししなければならない。
そして、私たちの教会の健全な姿をこの世に見せなければならない。神にささげることができるのは団結である。中立という弱い信仰をもっていてはいけない。「まさか、あなたがたも私から離れたいと思っているのではないでしょう。私とともにしない者は散らす者です。」という主の警告を心に深く刻まなければならない。
教会が集まろうというときに総動員してひとつの場所に集まるのが教会を守る力である。遠くから長い時間をかけて行ったり来たりする聖徒の労苦が神の国の神殿の壁を築く。ともに集まろうというときに集まってこそ、聖楽教会を守ることができる。これが聖霊から受けた啓示であり、戒めであるということを知らなければならない。集まることに死ぬほどの力を尽くすように切に願う。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室