
惑わしを受けてはいけない
(テサロニケ人への手紙第二2:1~12)
神は
霊でおられる
その方は
まことであり、真理でおられる(ヨハネ14:6)
真理は御言葉である(ヨハネ16:13)
御言葉は光であり、いのちである(ヨハネ1:4)
その名をイエスという(マタイ1:21)
神は永遠に変わることがないし、義でおられる
神の義を否定して
人の義を立てるのはサタン的である(Ⅱテサロニケ2:4)
サタンの惑わしを受ければ、堕落する(Ⅱテサロニケ2:9~10)
聖徒を助けていた天使もさまよい、助けることができなくなる(Ⅰ列22:20~23)
神が助ける天使を惑わしの霊にし、
真理に従わない霊魂に惑わしを
働かせる(ローマ1:28~32)
神はもっている者にはさらに与えて豊かにされるし、
もたない者にはもっているものまでも取り上げ、怒りを現される
バプテスマ人は信仰の節度を守らなければならない
そのために主日を聖く守って聖徒の義務を果たす(へブル10:25)
聖霊から学ぼうとし、(ヨハネ14:26)
毎日、聖書の御言葉を聞いて行い、
天への道を歩む(ヨハネ14:6)
惑わしの霊を受ければ、再び立ち返ることができない
裁きを受けたり、肉体は滅んで霊だけが生きたりする(Ⅰコリント5:5)
○ 聖霊を豊かに受けなさい
聖霊によって自分の霊魂を守りなさい
○ 惑わしを受けないで、惑わしの霊を防ぎなさい
惑わしの霊を受ければ、裁きを受ける
○ 天使が真理に従う者を助ける
聖霊は天使に命じて、真理に従う者を常に助けておられる
惑わしの霊を追い出さなければ、堕落する
※ 聖霊と真理によって悪魔に敵対し、
惑わしの霊を追い出し、
天使に自分の霊、魂、体を助けさせよう
【牧師コーナー(松竹岩)】 2020. 01. 26 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
神はこの世を造って、この世にいのちと祝福、死と呪いを置かれた。人間はこの4つの道で戸惑いながら葛藤している。人間は万物の中で最も卓越した被造物である。神のように立って歩き回る直立動物である。耕作し、獣を飼い、野菜を栽培して食べる。これは単純で原始的な生活に過ぎない。さらに人間は勉強して、科学的で、より良い生活を送ろうとする。文明は人間の生活が科学化されたものである。それゆえ、学校に行ってさらに多くの知識を積み、原始的な生活からさらに遠くに脱け出そうと努力する。このような勉強は人文学と自然科学に分けられる。人間はこの2本の足をもって熱心に走っていく。
肉体だけを生かそうとするのであれば、一般大学に行って学問を修めるのが有益である。一般大学にはそれぞれ教育機関があり、自分の宗教哲学を研究する。哲学は他の学問よりも優れているが、限界をもっている。それは宇宙の中にだけ存在する精神的な価値を学んで研究するということである。哲学は宇宙というよみの中でだけさまよう。哲学には救いもないし、いのちもない。続けて探すだけである。
しかし、キリスト教神学はインマヌエルの神を中心として宇宙という虚空を脱け出し、永遠の前から自らおられる、実存される神を知る。そして、神がなさることを悟って信じ、神とひとつになり、永遠のいのちを得る。それゆえ、宇宙の中で唯一に復活にあずかる力と命を得て驚くべき神の働きを学ぶところが神学校である。
宗教哲学とキリスト教神学においてその価値と水準を比べてみよう。私たちが学ぼうとする神学はインマヌエルによって歴史の中に根を下ろした神について学んで体験する。これを実存神学という。幼子が理解する知識があるし、若者が理解する知識があるが、キリスト教神学はすべての学問の上にある最高の学問である。
私は自分の子孫が最高の学問であるキリスト教神学を学び、すべての知識と知恵の上にある最高の学問を修めることを願う。一般大学で宗教哲学を学んだとしても、さらに高く、深く、広く、優れている神の知恵と力を修め、力ある神の働き手となることを願う。
キリスト教神学の最高の指導者は聖霊でおられる。その教科書はイエス・キリストでおられる。それを知る者に報いを与えるのは神でおられる。神は私たちの父であり、義でおられる。キリスト教神学を学ぶのは牧師となるためではない。神を知ることが知識の初め、根本である(箴1:7)。最高の学問によって霊、魂、体を武装して(エペソ6:10~17)、最後の勝利者となるために、キリスト教神学を学ぶのである。
このために私はベレヤ国際大学院大学を推薦する。ベレヤ国際大学院大学はイエスが十字架につけられたときのように小さく、この世で光り輝いてはいないが、神の栄光に満ちている。すべてが力ある者となる。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室