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イエスを恥ずかしく考えてはいけない
(マタイの福音書26:69~75)
神は
栄光でおられる
その方が
この世を愛して、ひとり子を遣わされた
その方は御言葉でおられる(ヨハネ1:14)
神が御言葉をこの世に遣わされたときに、
この世は御言葉よりも栄光があるところではなかった(ヨハネ1:10~11)
神の栄光がない、暗いよみであり、(ヨハネ1:5)
呪いを受けた悪魔を閉じ込めたところであり、(ユダ1:6)
恥ずかしいものに刑罰を与える火の池があるところであり、
不義に満ちている地であった(ヨハネ3:19~21)
ここに
神の聖なる者が現れた(ヨハネ3:16~17)
天の栄光、いのちの光が遣わされた
それゆえ、
御子が来られたのは悪魔の働きを滅ぼすためであった(Ⅰヨハネ3:8)
誰が恥ずかしいのか
天の下にあるこの世が恥ずかしいのか(Ⅰコリント1:18)
神のひとり子の栄光が恥ずかしいのか
イエスは裁き主となられた(マタイ10:32~33)
霊が働かれる御言葉を恥ずかしく考えてはいけない(マルコ1:12)
〇 イエスを辱めるためにガリラヤ人といった
ガリラヤに混血の人が多かったために、卑しく考えた
イエスはキリストであって、ガリラヤ人ではない
〇 イエスを大工、ナザレ人といった
ナザレは無学で貧しい者が住む町であった
イエスは全知全能の御言葉でおられる
〇 イエスを呪って、呪術者として扱った
ユダヤ人が最も卑しく考えたのが呪術者であった
イエスは真理であり、知識の根本でおられる
※ あなたは天から来られた方を恥ずかしく考えるのか?
あなたは無学、貧しさを恥ずかしく考えるのか?
あなたは迫害を受ける聖楽教会を恥ずかしく考えるのか?
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