2020. 10. 18 血を流すことによって罪を赦される (へブル人への手紙9:22~28)

 

 

血を流すことによって罪を赦される
(へブル人への手紙9:22~28)

神は
義なる父でおられる
その方が
定められた御心は必ずなされなければならない(マタイ6:10)
そうでなければ、その方は不義なる者となってしまう
信じなかったり疑ったりするのは自由であるが、
罪がないということはできない
神の御心に逆らって義から離れたのが罪である
それゆえ、
「私はただ主に罪を犯しました」と告白する(詩51:4)
ただ神に罪を犯したために、
神の血によってだけ赦しを受けることができる(レビ17:11)
人間が道徳的に犯した罪は律法時代にも赦しを受けたが、
律法は肉体の規定である(へブル9:10)
信仰が来たのちには獣の血によっては赦しを受けることができない
ただ神に罪を犯したのである
不信仰の罪がどんなに大きいであろうか?
ただ神に罪を犯したために、
神の血によってしか罪の赦しを受けることができない
不信仰と疑いは
神の血を流させる罪悪である(ヨハネ6:53~57)
神は自分の血によって罪を贖われた(へブル9:12)
〇 自分の罪を差し出して
神の血を飲むのが悔い改めである
〇 神の血を飲むという体験がなければ、その悔い改めは偽りである
私たちが悔い改めたときに、
主も同じように苦痛を受けられた
〇 よみという宇宙で生まれたものは必ず死ぬ
人の霊は天(霊界)で生まれたために、
必ず裁きを受ける
※ 私たちが信じるのは裁きを受けないためである
イエスが代わりに十字架で裁きを受けられたので、
私たちはその恵みを受けて、バプテスマを受ける