2020. 12. 27 . 任されたことに忠実でありなさい (ルカの福音書16:9~13)

任されたことに忠実でありなさい
(ルカの福音書16:9~13)

神は
永遠な主人でおられる
その方が
天には天使を、この地には人類を創造し、
それぞれに位階と職分を与えられた(へブル1:5~14)
それぞれが自分に任されたことに忠実でなければならないという義務をもつ(Ⅰコリント4:1)
自分は何も任されていないと主張することはできない
極めて小さな生物にも自分がすべきことがある
それぞれが自分がすべきことをすることによって調和をなす
しかし、
天にいる天使が自分の職分を守らないで罪を犯した
神は裁くためにその天使をよみに閉じ込められた(Ⅱペテロ2:4)
人間もそれぞれ自分の職分を受けたが、(マルコ12:30~34)
疎かにすることによって罪を犯す(へブル2:2~3)
聖なる信者はなおさら職分を守らなければならない(Ⅱペテロ1:5~9)
自分の職分がこの世の目で見るときには小さかったとしても、
神の目で見るときには大きい
小さなことに忠実な者が大きなことを任される
不正の富にも忠実であるのならば、
神のものにはどのようにしなければならないであろうか(ルカ16:10)
神は聖徒の霊魂を調べられる
〇 不正の富によって友を作りなさい
義の富によって聖徒の義務を果たしなさい
神に仕える者とならなければならない
〇 極めて少ない収入にも十分の一は存在する
十分の一は神のものである
それを疎かにするのであれば、神はその人を取り除かれる
〇 感謝すべきことが少なかったとしても、恩知らずの者となってはいけない
神の血と霊がともにされる
神に仕える忠実な者は小さなことをするにしてもすぐれていなければならない
※ 教会の職分は小さく見えたとしても、
天では大きなものである
忠実な者となって神を喜ばせなければならない

2020. 12. 20. 狭い門から入りなさい (マタイの福音書7:13~14)

狭い門から入りなさい
(マタイの福音書7:13~14)

神は
霊でおられる
その方が
人類をこの地に満たし、(創1:28)
その中から呼び出し、出て来る者に救いを得させる(創6:7~9)
人間の考えによっては天に入って行く者がいない(ローマ8:6~8)
神が定められた御心に従ってこそ、入って行くことができる(マタイ19:24~26)
神の御心はとても狭い門である
らくだに針の穴を通させる真理が
神の御心であり、狭い門である
この世には文化も多いし、知識も多いし、知恵も多い
しかし、それらはすべて火に投げ込まれるし(マタイ13:49~50)、いのちに入って行くものはひとつもない
神は御子によってそれを明らかにされた(ヨハネ6:39)
神の御子もその道によらなければ、入って行くことができなかった(へブル5:7~9)
十字架で殺され、葬られたのちに
神に入って行かれたが、これが狭い門である
誰でも
イエスと結びついて自分のものをすべて葬ってこそ、(ローマ6:3~4)
その霊魂が恵みと真理によって入って行くことができる
霊魂は針の穴を通ることができる
霊魂が入って行く門が狭い門である
〇 霊魂を狭い門に導くために
御言葉がこの地に来て導く
〇 この世で得たものはひとつも門を通ることができない
イエスの十字架の功労によってだけ入って行くことができる
イエスの血を受けてこそ、入って行くことができる
〇 主イエスは罪人を招くために来られた
罪人のために死のうとして来られたし、
罪人を義とするために代わりに血を流された
※ 狭い門は私たちを救う真理である
真理は信仰であるし、信仰は狭い門である
自分の義を超越して恵みを受けてこそ、入って行くことができる

2020. 12. 13. 主イエスを愛しなさい (ヨハネの黙示録2:1~7)

主イエスを愛しなさい
(ヨハネの黙示録2:1~7)

神は
義を現された
その方が
愛する者と喜ぶ者を選ばれた(マタイ3:17、17:5)
私たちの信仰は永遠のいのちを得るためのものである
永遠のいのちとは唯一の
まことの神とその方が遣わされた
イエス・キリストを知ることである
これは
神が愛されるものと喜ばれるものを知るということである(ヨハネ17:3)
私たちの信仰は
神が愛される者となることであり、(ヨハネ3:16)
神が喜ばれる者となることである(ヨハネ17:13)
神が愛される者となるためには恵みを受けなければならない(ヨハネ14:15)
神が喜ばれる者となるためには従わなければならない(使5:32)
エペソ教会は堕落した教会の見本であった
人間の道理を遂行する教会であり、(黙2:2~3)
宗教的な儀式に彩られた教会であり、(マタイ23:27)
この世に称賛される道徳的な教会であった
しかし、
神の義がなかったために、叱られた(マタイ5:20)
神の義を得るためには恵みを受けなければならない
そして、神に従わなければならない(創15:6)
〇 初めの愛を回復しなさい
神の恵みを受けたときの初めの愛を回復しなさい
〇 神が喜ばれる者となりなさい
神の御心に従わなければならないし、偽ってはいけない
〇 どんなに多くの労苦を払ったとしても、
神を喜ばせることはできない
神の戒めに従わなければならない
※ 罪から救いを受けるときに、
神が愛されるし、喜ばれる
イエスの功労を忘れてはいけないし、これが初めの愛である

2020. 12. 06 聖霊に満たされなさい (ヨハネの福音書7:37~39)

聖霊に満たされなさい
(ヨハネの福音書7:37~39)

神は
アバ、父でおられる
その方が
ひとり子によってこの世を救おうとされた(ヨハネ6:37~40)
そして、救いを受けた霊魂に
約束された聖霊を限りなく注がれた(使1:4~5)
それは生ける水の川が流れるようなものであった(エゼキエル47:1~5)
この世でどんなに義とされたとしても、
神の義がなければ、裁きを受ける(マタイ5:20)
肉体の規定に従って責められるところがないように生きたとしても、
神の義がなければ、裁きを受ける(エペソ2:8~9)
それゆえ、
イエス・キリストの十字架の功労を恵みとして受けてこそ、
救いを受けるし、信じる者に与えられる聖霊を(Ⅰコリント1:18)
受けてこそ、まことの信者となる(Ⅱコリント1:21~22)
聖霊がおられなければ、自分の義だけがある
自分の義によっては永遠のいのちを得ることができない(ローマ8:11)
自分の義によっては肉体が存在する間しか
約束を受けることができない(マタイ11:13~15)
肉体を脱ぎ捨てたのちに、その霊魂はどうなるであろうか
聖霊を受けなければならない(使1:8)
〇 律法の戒めから解放されるためには
聖霊の原理、法によって自由を得なければならない
聖霊の法は永遠のいのちの法である
〇 聖霊を受けたのであれば、絶対的に服従しなければならない
聖霊に逆らえば、必ず滅びる
聖霊は主の尊い血を証しされる
〇 聖霊によってだけ真理を知る
聖霊を受けることによってだけその賜物を受ける
信じる者はその賜物を受けなければならない
※ 神はイエスを愛するために、
聖霊を限りなく注がれたし、
教会がイエスの体であるために、私たちにもそのようにされる