2021. 01. 31. 権威ある教え (マルコの福音書1:21~28)

権威ある教え
(マルコの福音書1:21~28)

神は
自ら存在する霊でおられる
その方が
天で堕落した天使をよみに閉じ込められた(Ⅱペテロ2:4)
裁きの時まで閉じ込められた(ユダ1:6)
そして、罪によって悪魔のしもべとなった者を救うために
神の御子をこの世に遣わされた(エペソ2:1~5)
神の御子はインマヌエルとして現れ、(マタイ1:23)
聖霊に満たされて導きを受け、(マルコ1:12)
権威ある者のように人の前に立たれた(マルコ1:22)
イエスの福音は
天から下って来た契約であるために、天の声であり、
神の御言葉である(ヨハネ1:1~4)
神の御言葉であるのならば、権威をもつし、権勢をもつ
御言葉を受けた者を神々と呼んだように、(ヨハネ10:35)
神の御言葉を受けた者は霊的な権威をもつ(Ⅰコリント2:13~16)
それゆえ、
悪霊も隠れることができないで、自分の正体を現す(ヤコブ2:19)
イエスが現れたときにも恐れた(マタイ8:28~29)
天にあるもの、地の上にあるもの、
地の下にあるもののすべてがイエスに服従する(ピリピ2:10~11)
すべての人が
イエスを権威ある者と考えた
イエスの権勢と力が現れたためである(マルコ1:27)
○神の御言葉を受けた者は権威をもつ
神の権勢を受けたために、権威をもつ
○神の御言葉は霊的である
それゆえ、悪霊だけではなく、試みる者すべてを取り除く
○教会には霊的な権威がなければならない
監督は権威ある新しい契約の権勢を預かった者である
※教会の権威を回復させるためには
監督の権威を回復させなければならない
監督の権威があるときに、うわさが立ち、教会がリバイバルする

2021. 01. 24. 福音を信じなさい(マルコの福音書1:14~15)

福音を信じなさい
(マルコの福音書1:14~15)

神は
父でおられる
その方が
この世に福音を与えられたが、イエス・キリストでおられる
その方は御言葉でおられる(マルコ1:1)
私たちは教会生活をしながら、自分を信じる者と主張する
私たちが信じるものは何であろうか?(マタイ5:20)
無条件に信じるといったとしても、
それによって信者となることはできない(マタイ23:23)
私たちは約束を信じる
神は私たちに何を約束されたのであろうか?(ヨハネ14:1~3)
神は約束として御言葉と戒めを与えられた
目に見えるものとして
イエス・キリストを与えられた(ヨハネ1:17~18)
イエスはダビデの子孫から自由となり、(マタイ3:17)
神の御子として愛を受けるようになったが、
そのときから十字架につけられるときまで公生涯をもたれた
これを一言で言うと、福音という(ヨハネ6:53~55)
イエスは福音を信じさせようとして血まで流された
イエスの血と功労が福音である(Ⅰコリント1:18)
イエスは福音を信じる者に永遠のいのちを約束された
どのようにすれば、永遠のいのちに入って行くのであろうか?(ヨハネ11:25~26)
聖霊がこの福音を保証して印を押された(Ⅱコリント1:21~22)
○ イエスは福音を伝えられたが、
これは自分について伝えられたのである
○ イエスを信じる者はバプテスマを受ける
聖霊が保証として印を押される
○ 信じるものがなければ、宗教人に過ぎない
宗教は道徳や功徳を積ませるが、
福音は罪の贖いとともに永遠のいのちを与える
※ 信じる者はこの世に属さないで、神に属する
それゆえ、神の御言葉に従って、
聖霊の人、霊的な人となる

2021. 01. 17. 聖霊が追いやられる (マルコの福音書1:12~13)

聖霊が追いやられる
(マルコの福音書1:12~13)

神は
自分の栄光のために
御子をこの世に現された(ヨハネ3:16)
これは
御子によって自分の御心、御言葉、愛を現されたのである(Ⅰヨハネ4:8~10)
神の御子の存在と言行が
神の御心を現し、御言葉を語り、(ヨハネ12:48~50)
神の愛を現した(ヨハネ15:9)
神の御子であっても
自分の思い通りに行われることはなかった(マタイ16:23)
聖霊の働きによって神を現された(マタイ3:11)
聖霊は父と子の関係を完全にされる
神も御子との関係を
聖霊によって完全にしようとされる(ヨハネ15:26)
イエス・キリストもこの地にいるときに、
聖霊の積極的な監視を受けられた(使10:38)
聖霊の導きを受けられた(マルコ1:12)
これが三位一体でおられる方の義である
神の義はどちらかに傾くことがなく、
中心にある
聖霊も父も御子も義とともにされる(ヨハネ16:10)
これを義という
それゆえ、聖霊に逆らうというのは御子に逆らうということであるし、
御子に逆らうというのは父に逆らうということになる(マタイ12:30~33)
○ イエスは
聖霊の力強い働きによって公生涯を送られた
○ 聖霊なしには神癒もしるしも現されなかった
悪魔に試みを受けたときにも聖霊とともにされた
○ これは私たちの信仰生活の模範である
信仰は神の義と御言葉と聖霊による
※ 私たちはバプテスマを受けることによって
肉体とともに情欲をすべて葬った
聖霊に追いやられることによって従う

2021. 01. 10. イエス、油を注がれる (マルコの福音書1:9~11)

イエス、油を注がれる
(マルコの福音書1:9~11)

神は
父でおられる
その方が
御子を愛して油を注がれた(ヨハネ1:32~34)
キリストとして油を注がれた
神は御子を愛して相続者とされたし、(へブル1:2)
御子から栄光を受けるために油を注がれた
その職分が「キリスト」であった(マタイ3:17)
キリストは
神から与えられた最高の職分である(ヨハネ10:17~18)
神は御子を自分のように愛されたし、(ヨハネ10:30)
御子は忠実に父に服従された(ピリピ2:5~8)
愛は御子が父から受けた栄光である
喜びは父が御子から受けた栄光である(ヨハネ17:1)
これはイエスがバプテスマを受けられ、聖霊が臨まれたときに(マルコ1:10)
語られた御言葉である
これによってキリスト教の信者の身分と栄光が確定された
イエスの恵みによって罪の赦しを受け、極めて高い方の子となれば、
父の愛を受ける(ローマ8:16~17)
また、神から委ねられた職分を忠実に果たせば、(Ⅰコリント4:1)
神を喜ばせる
○ 神は御子の血によって私たちを買い取り、
永遠のいのちの御言葉と恵みによって養育されるが、それが神の愛である
また、神の喜びのためにはそれぞれに職分が与えられた
○ 信者であれば誰でも職分をもつ
ある人は牧師、ある人は按手執事、ある人は教師、
ある人は伝道者、ある人は奉仕者という職分を委ねられた
○ 自分の職分を忠実に果たし、力や命を尽くして
神を喜ばせるときに、神は栄光を受けられる
その霊魂は神の愛を受けるし、その生活は神に喜ばれる
※ 神の愛と喜びは初めから予定されていた
その身分は聖なるものであるし、委ねられた働きはそれ自体、忠実である
その方の愛を受け、その方に忠実であろう

 

2021. 01. 03. 福音の初め (マルコの福音書1:1~8)

福音の初め
(マルコの福音書1:1~8)

神は
父でおられる
その方は
唯一の方でおられるが、御子を愛して
万有の相続者とされた(へブル1:2)
御子によって御子のために世界を造られた
万有はその方が造られたので、すべてその方のものである(詩100:3)
その方なしに造られたものはない
万有がその方に従うのはその方のものであるためである(へブル11:3)
神は被造物によって造物主を知らせようとして、
アブラハムを選んで祝福の根源とされた(創12:2)
アブラハムをひとりにして、その名を「へブル」とつけた(創14:13)
彼が受けた祝福を子孫千代にまで許された(詩105:4~11)
その子孫は神の約束通りにカナンの地に至った
シナイ山からエルサレムに至った(ヨハネ4:21)
神は初めの契約を守られたが、それは律法と預言者であった(民23:19~20)
バプテスマのヨハネは最後の預言者であり、(ヨハネ1:6~8)
律法と預言者の終わりであった(マタイ11:13)
最後の預言者をエリヤといった(マラキ4:1~6)
そして、初めの契約にはなかった悔い改めが宣べ伝えられた(マタイ3:1~2)
王が代わりにする悔い改めではなく、それぞれがする悔い改めである(使2:38)
○ 初めの契約はアブラハムの子孫、イスラエルの信仰である
新しい契約は全世界とそれぞれの人に与えられた
新しい契約を恵みの福音という
○ イエス・キリストの生涯が福音の初めである
福音は律法や預言者を消し去り、(マタイ17:4~5)
イエス・キリストがなされた功労だけを伝える
○ イエス・キリストの御言葉、力、愛を
神が直接、証言されたし、(ヨハネ5:32~37)
聖霊が私たちの心に入って来て証しされる(ヨハネ15:26)
※ 福音をはっきりと知ってこそ、真理を知る
真理を知ってこそ、まことの自由を得る
これはよみという宇宙の属性から完全に解放されるということである