2021. 12. 12. 主の関心 (マルコの福音書12:38~44)

主の関心
(マルコの福音書12:38~44)

神は
造物主でおられる
その方が
霊的なものと物質をすべて創造された(へブル11:2)
それゆえ、すべてが
神の御名の前でひざまずかなければならない(ピリピ2:10~11)
神の義は父でおられる(ローマ8:14~17)
父の御心通りに父に仕えるのが真理である(ヨハネ6:38~39)
神の御子であるその方も
自分の命を尽くして父に仕えた(へブル5:7~10)
これが真理であり、いのちである
私たちが信じるのは永遠の前から定められたものである
神は御子との関係を啓示として見せた(エペソ1:17~19)
これを信仰という(へブル11:1)
父なる神は御子によって栄光を受けられる
御子は父から国と力と栄光を
相続として受けられた(へブル1:4)
その名をイエスという
私たちの信仰は「主人はひとりである」というものである
それゆえ、主人に従うのが信仰である(ピリピ2:5~8)
富は「マモン」といい、主人という意味をもつ(マタイ6:21)
○ 神を主人として仕えるのか、富を「マモン」として仕えるのか、選ばなければならない
神は主人でおられるし、すべてが主人のものである
○ 惜しむのは肉の思いであり、死に至る
神を思うのは霊を生かす
○ ささげる献金の金額に大小はない
神の関心は誰が力を尽くして仕えるのかというところにある
人の目では見ることができないが、霊は知っている
神はその人の霊を愛される
※ 金持ちは宗教生活をよくすることができるが、
貧しい者は信仰生活をさらによくすることができる
それゆえ、貧しい者は幸いであるといった