2022. 01. 30. イエスの御言葉を聞きなさい (マルコの福音書14:27~31)

イエスの御言葉を聞きなさい
(マルコの福音書14:27~31)

神は
唯一の父でおられる
その方が
天(霊界)と宇宙の中に霊と物質を創造された
その方はそれらの上にいる方であり、
唯一の神でおられる
それゆえ、その方は語った御言葉を変えることなく、
すべて成就する、絶対不変な神でおられる(民23:19~20)
神の御言葉は天地万物にとって抑圧ではなく、
豊かに与えようとする約束である(詩105:5~6)
神が偽りを言うのではないか、約束を破るのではないか
と疑うのはサタン的である
サタンの属性は神を疑うことである(マタイ4:7)
神が私たちの中におられ、私たちがその中にいるのであれば、
私たちもその方のように永遠であり、完全である(ローマ12:1~2)
イエス・キリストを、神から遣わされた神の御子と(ヨハネ20:30~31)
知るのであれば、その方との交わりをもつし、
その信仰が変わることはない
そうすれば、神も私たちを信頼して、ともにされる(マタイ28:20)
神と私たちの関係は信仰と信頼である
聖霊はこの永遠な関係を保存するために来られた(ヨハネ14:15~17)
○ 人間は一晩のうちに何回も変わってしまう
神との関係が試みにあう
私たちが受けた力とは信仰と信頼の証しである(マルコ16:20)
○ 人にとって誓うというのはだまされるということである
どのような誓いも信頼することができない
神を信じなさい、永遠に信じなければならない
○ 神を失望させないためには
人の信念よりも霊と真理によって仕えなければならない(ヨハネ4:23~24)
聖霊によってだけそのようにすることができる
※ 聖霊によって生まれ変わる前にはどの肉体も信頼することができない(ヨハネ3:3)
徹底的に悔い改め、
聖霊の力を受けて信仰生活をしよう

2022. 01. 23. イエスの晩餐 (マルコの福音書14:22~26)

イエスの晩餐
(マルコの福音書14:22~26)

神は
永遠でおられる
その方が
イエス・キリストをこの世に与えられた(ヨハネ17:3)
イエスがこの世に来られたのは仕えられるためではなく、
むしろ命を与えて仕えるためであった(マタイ20:28)
それは永遠の前から定められていたが、(エペソ1:9)
ついに御言葉が肉体となって現れた(ヨハネ1:14)
預言者の口を通して伝えられたその契約の御言葉が(ルカ1:70~75)
ついにインマヌエルとしてこの世に現れた(マタイ1:23)
その方は30年間、この世を体験された(ルカ3:23)
そして、公生涯をもつ間に続けて語った通りに
十字架につけられて死なれた(マタイ16:21)
このときまで
この世に存在するものはすべてその方のために備えられていた(詩100:3)
それゆえ、主が食べたり飲んだり乗ったりしたものはすべて
このとき、別れを迎えた
主は愛する弟子たちと晩餐をもちながら、
「ぶどうの実で造られた物を飲むことはない」といわれた(マルコ14:25)
ただ天で新しいものを飲むと預言された
これは聖霊によってよみがえるという意味であった
○ イエスには霊的な食物があった
これはなすべき戒めとして与えられた、
神の御心であった(ヨハネ4:34)
○ イエスは聖霊によってよみがえり、永遠な息を吹きかけ、(ヨハネ20:21~22)
弟子たちにも同じ霊的な食物を勧め、
「聖霊を受けなさい」といわれた
○ 聖霊充満とはこの地の食物ではなく、
永遠な食物として、永遠のいのちのために
神の御心をなすことである(ヨハネ7:37~39)
※ 晩餐は夜の食事である
主はこの世の食事を終え、暗い夜が過ぎた早朝に聖霊によってよみがえられた
私たちも主とともにしよう

2022. 01. 16. 生まれなかったほうがよかった者 (マルコの福音書14:10~21)

生まれなかったほうがよかった者
(マルコの福音書14:10~21)

神は
私たちの父でおられる
その方が
この地の上に人を造られた(創1:26~27)
自分のかたちとして造り、「生めよ、増えよ、地を満たせ」といって
祝福を与えられた(創1:28)
これは
将来、人の子を遣わして悪魔の働きを滅ぼすためであった(Ⅰヨハネ3:8)
また、人の子を愛する者を、人の子を通して(ヨハネ6:37~39)
天に連れて行き、人の子とともに
相続者の栄光を受けさせるためであった(ローマ8:16~17)
そして、
まず御言葉が来たが、裏切られた(創2:16~17)
神の約束が与えられたが、それさえも排斥された(使7:53)
御言葉が肉体となって来られたが、十字架で殺された(ルカ23:21)
十字架はこの世の呪いの中で第一である(ガラテヤ3:13)
このとき、天と地の間で最も大きな罪を犯した者が生まれた
その人はむしろ生まれなかったほうがよかった者、
呪いを受けた者であり、(マルコ14:21)
イエスのそばにいながらもへつらう者であった
その人が神を売ったイスカリオテ・ユダであった(マルコ14:10~11)
○ 神を売るのは罪の中で最も大きな罪悪である
最も大きな罪悪とは永遠に赦しを受けることができない罪である
すべての罪は悔い改めることができるが、この罪は悔い改めることができない
○ すべての罪は主に犯したものであるが、
信仰をもって悔い改め、赦しを受けた
しかし、神を売る罪は悔い改めることができないし、いけにえも残されていない
○ 私たちが受けた最も大きな恵みは悔い改めの機会である
悔い改めなしには真理が入って来ないし、
バプテスマを受けたとしても聖霊が入って来られない
※ 悪魔から指令を受ければ、自分の信念となる
敵がいない者は中立を守る者であり、宗教人となってしまう
信じない者とともにしてはいけないし、不法と妥協してはいけない

2022. 01. 09. 主をまことに愛しなさい (マルコの福音書14:1~9)

主をまことに愛しなさい
(マルコの福音書14:1~9)

神は
愛でおられる
その方が
この世を愛されたのはこの世から愛を受けるのを
願われたためである
私たちの信仰の基本は愛である(Ⅰヨハネ4:8)
神を愛し、また、神から愛を受ける(ヨハネ14:23)
神はまず私たちを愛された(ヨハネ15:16)
ひとり子を差し出された(ヨハネ14:24)
それゆえ、私たちはその愛を知り、信じ、愛し、
イエスを心に迎え入れる(ヨハネ14:15~17)
宗教は自分の徳を積む
ただ自分のために徳を積む(マルコ10:17~21)
キリスト教の信仰は自分の義を捨てて葬り、
神だけを愛する(マタイ16:24)
ある女が高価な油の入ったつぼをもってきて、
その油をイエスの頭に注いだ
それをねたんだ者はその女を迫害した
貧しい者に施すことと
神に仕えることを混同していたためである
聖霊の人の信仰は愛である(ガラテヤ5:22~23)
○ キリスト教会の信仰は博愛主義ではなく、
神本主義である
貧しい者を助けるのは信仰ではなく、行いである
○ イエスを愛することと人を愛することは別個である
隣人を愛する者は称賛を受けるし、
イエスを愛する者は救いを受ける
○ 主イエスは命を捨てて父を愛し、父に従われた
それによって私たちは救いを得た
主を愛するというのはその方を待ち望むということである
※ 神のものによってその方をまず愛しなさい
そして、自分のものを貧しい者のために使いなさい
神に対する信仰と救済を混同してはいけない

2022. 01. 02. 目を覚ましていなさい (マルコの福音書13:24~37)

目を覚ましていなさい
(マルコの福音書13:24~37)

神は
働く方でおられる
その方が
この世で自分の働きをし、
その働きをしもべに預けられた(マタイ24:44~51)
私たちの主人は目に見えない霊でおられる(ヨハネ4:24)
その方がその働きを、目に見える世を見ることができる者に預けられた(創2:7~15)
それゆえ、
主のしもべは主人の真理に従って霊をもって仕えなければならない
この世は目に見える肉体を扱い、目に見えるものをもって仕える(マタイ6:19~24)
目に見えない方と目に見える者の間を(ヨハネ1:18)
イエスがとりなされた(Ⅰテモテ2:5~6)
イエスはインマヌエルとして来た人であり、
神の御子でおられる(マタイ1:23)
神と人が調和をなして協力するのは
神の御心をなすためである(へブル9:5)
今、私たちは預けられた働きをする
神はイエスが突然、来られるときに私たちが忠実であることを願われる(Ⅰコリント4:1)
しかし、
それがいつ、どのようなときであるのかは誰も知らない(使1:7)
それが父なる神の権限に置かれているためである(マタイ24:36)
○ いつ、どのようなときであるのかというのは宇宙の中にだけ存在する秩序である
神は時空間を超越して、御心通りに働かれる
神に権限があるし、その方だけが知っておられる
○ キリスト教会の信仰はいつ、どのようなときであるのかについて預言しない
神がなさる働きを信じて従う
いつ、どのようなときであるのかについて語るのは偽預言者の属性である
○ 私たちの心には
聖霊がおられるので、その方の霊感を受けて従おう
聖霊の働きにはいつ、どのようなときであるのかということが定められていない
※ それゆえ、「いつも目を覚ましていなさい」といった
これは神を信じて待ちなさいということである(黙22:20~21)
機会を生かして、預けられた信仰生活を忠実にしよう