2023. 05. 28. 聖霊がこの世にその誤りを認めさせる (ヨハネの福音書16:1~11)

聖霊がこの世にその誤りを認めさせる
(ヨハネの福音書16章1~11節)

聖霊は
この世の罪と不義を罪に定め、その誤りを認めさせる
これによってイエス・キリストの主権的な権勢、栄光、
義、真理を
同時に証しする
イエスがよみがえって天に上られたのちに
助け主としてイエスの代わりにこの地に来た聖霊は
五旬節以降のすべての時代の弟子たちに臨み、
使命をもってキリストの救いの福音を証しする者の中で
さまざまな力や賜物を与え、その道を導く
聖霊は本来、
三位の中の一位として創造主であり、
救いを受けた霊魂に新しいいのちを与える、
最上の力をもつ神でおられるが、
助け主として弟子たちに臨むときには
福音の証しの働きの現場で彼らを助ける
聖霊はキリストの義と栄光を宣言して証しする
そして、それを根拠として、
すべての不義と偽りを行う霊魂に
その誤りを認めさせ、滅びの危機を警告する
そのようにして罪人を悔い改めさせ、
イエス・キリストに立ち返らせ、従わせる
それによって救いを得させる
結局、聖霊は
救いの福音を宣べ伝える弟子たちの働きを助け、
悪い者から加えられる迫害と苦難に耐えなければならない弟子たちが
勇気を失わないように、
慰めて励ます
聖霊は慰めを与える方、イエスが約束された助け主でおられる

2023. 05. 21. 神は最後の日にあなたを立証される (マタイの福音書10:24~33)

神は最後の日にあなたを立証される
(マタイの福音書10章24~33節)

神は
その名が聖い方でおられる
その方が
私たちに信仰を与えられたが、それはその方の戒めである(ヨハネ14:15~16)
与えられた戒めを目で見ることはできないが、
私たちの霊魂は知る(ヨハネ14:17)
神から与えられたものをこの世は見ることができないが、
信じる者は体験するし、ともにしている(マルコ16:14~17)
この世は目の前に現れるものだけを知るが、
私たちは目の前に現れない天を知る
イエスは人の目で見ることができない、(Ⅱコリント4:3)
神の本体のかたちでおられる(Ⅱコリント4:4)
私たちはこれを信じる(ヨハネ7:38~39)
神はイエスをこの世に見せられたが、この世は信じない
しかし、私たちはイエスを信じるし、
それによってこの世から嘲笑を受ける(マルコ15:24~32)
この世は私たちが信じるものを愚かだと考える(Ⅰコリント1:18)
この世は肉体を殺したとしても霊魂を殺すことができない(マタイ10:28)
神は霊魂まで裁く方でおられる(ヨハネ3:17~18)
私たちはこの世が見ることができない方を証しする
聖霊によってだけ証しすることができる(使1:8)
◎ 人々の前でイエスを見せなければならない
イエスがなさった働きは歴史的なものであるために、この世もそれを知る
その方がなさった働きは救いの働きであるということを証ししなさい
◎ イエスは神の御子であり、
死んだ者の中から生き返ったキリストでおられる
それを証ししなさい
◎ この世が知ることができない方を認めるというのがそれほど恐ろしいのか
人々の前で主を知らないというのであれば、主もその人を知らないといわれるし、
主を認めるというのであれば、主もその人を認められる
※ イエスを知らないといってはいけない
イエスの復活を証ししよう
その方が救い主でおられるということを聖霊によって証ししよう

 

2023. 05. 14. 避けられない教会への迫害 (マタイの福音書10:16~23)

避けられない教会への迫害
(マタイの福音書10章16~23節)

神は
霊でおられる
その方が
肉体をもった人に現れて、主になろうとされたが、
この世はその方を知ることができなかった(ヨハネ4:23~24)
この世は混沌とした地から出て来たために、調和をなすことができない
互いに排他的であるために争う(創4:4~12)
常に強い者だけが生き残るのがこの世である
しかし、強い者さえもさらに強い方から刑罰を受ける(へブル9:27)
私たちはこの世に属さないために、
この世から憎まれる
私たちはただ神に属するために、
神と同じように、この世に理解されない(Ⅰヨハネ4:5~6)
宗教はこの世に属するために、この世から歓迎される
イエスの教会はこの世に属さないために、この世から憎まれる(ヨハネ8:23)
それゆえ、
神の知恵によって身を処さなければならない(マタイ10:16)
教会はこの世の権威と戦わない
肉体はこの世の権威に属するために、それに従う(ローマ13:1~4)
霊魂は天に属するために、天に従う(ヨハネ3:3~8)
神のものは神に返すし、
カイザルのものはカイザルに返す
◎ 迫害がないことを祝福と考えてはいけない
祝福は迫害とともに受ける
◎ イエスの教会の歴史は血の足跡である
私たちの最高の望みは殉教である
殉教する者は第一の復活にあずかる
◎ イエスの福音のために首をはねられれば、
義の冠、いのちの冠を受ける
私たちは冠を受けるために走っている
※ 迫害を恐れたり心配したりしてはいけない
イエスも迫害を受けて血を流された
私たちも血を流すまで耐えなければならない

2023. 05. 07. キリストのあわれみの働き手たち (マタイの福音書9:35~38)

キリストのあわれみの働き手たち
(マタイの福音書9章35~38節)

神は
羊飼いでおられる
その方が
人類を羊として飼う(詩23:1~4)
羊は愚かであり、羊飼いなしに生きることができない(詩23:6)
羊飼いが緑の牧場、憩いの水のほとりに導き、
食べさせ、水を飲ませなければならない(ヨハネ10:11)
羊飼いがいない羊は道に迷って、(ヨハネ10:4)
狼の餌になってしまう(マタイ7:15)
それゆえ、
イエスは血によって買い取った霊魂を
自分の羊といわれたし、(ヨハネ10:8~9)
弟子たちに「私の羊を飼いなさい、牧しなさい」といわれた(ヨハネ21:15~17)
「私をまことに愛するのであれば、私の羊を
飼って牧しなさい」といわれた
羊飼いがいない羊は主の目にも無残に見える
私たちの信仰には導く者がいなければならない(Ⅰペテロ5:2~7)
導く者がいない羊は常に危険にさらされる
いつどのように試みに遭うのか、滅びるのかもわからない(マタイ6:13)
イエスは大牧者でおられる
イエスのしもべは羊飼いとなって主の羊を飼う
◎ 信じる者は主の羊であり、羊飼いに従う
この世にいる間も羊飼いに従わなければならない
牧師は大牧者から委任された羊飼いである
◎ 牧師は主の羊に牧草と水を与える
信仰をもったといいながらも自分の信念に従うために、
羊飼いがいない羊となる
◎ 信じるといいながらも高ぶり、混濁し、
羊飼いがいない霊魂となる
この世には狼があふれているために、霊魂は危険にさらされる
※ 羊飼いは良い牧草を食べさせる
毒草を食べて死んでいく霊魂がどんなに多いであろうか
道に迷ってさまよう者がどんなに多いであろうか