
聖霊によって立てられた監督
(使徒の働き20:23~35)
神は
創世の前に御心を定め、
そのために
御子をこの世に現された
御子は神のふところから出て来た人の子でおられる(ヨハネ1:18)
その方は御言葉であり、(ヨハネ1:1)
真理でおられる(ヨハネ14:6)
聖霊はこのために臨まれたが、真理の霊でおられる(ヨハネ16:13)
聖霊は
イエス・キリストによってなされた父の御心を(ヨハネ6:38~44)
この地でなさせるために教会に臨まれた(マタイ6:10)
イエスの教会はただ
聖霊が組織し、働き、完成される(使20:28)
教会のために監督が立てられた
按手は天から下って来た職分である(使13:2~3)
イエスは教会のかしらでおられるし、監督はそのしもべである(エペソ1:22)
監督は霊感と信仰の力によって主の働きをする(Ⅰコリント2:13~14)
それゆえ、
監督の霊感を制限したり、人によって立てられたかのように
無視したりするのであれば、霊魂に益はない(へブル13:17)
聖霊がなさる働きに従わなければならない(エペソ4:1~6)
○ 主のしもべの終わりに何が起こるのかはわからないが、
はっきりとしているのは望みがあるということである
苦しみと縄目が待っていたとしても、望みがある
○ 主の働きのために首をはねられるのであれば、
第一の復活を得るし、永遠のいのちを得る
主のしもべの栄光は殉教である
○ 信仰は聖書に従うが、
この世はこの世の法に従う
神の法とカイザルの法はそれぞれ異なる
※ この世の権勢によって肉体は苦難を受けたとしても
神の恵みによって霊魂が幸せであるのが信仰である
神の幸せによって幸せになってこそ、信仰である
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 8. 25 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
私たちが受けた信仰の働きとはどのようなものであろうか? 私たちが信仰を受けることによって、イエスが私たちのかしらとなられたし、私たちの助け主となられた。また、それによって私たちの霊魂は罪から解放されたし、死の権勢から救いを受けたし、第一の復活に至るようになった。
神が正直でおられるように、主イエスとその御言葉は正直である。これを真理という。真理は私たちのいのちとなった。イエスが私たちを救ってくださったのはたとえやこの世の方法を通してではなく、ただ真理、神が自分を指して誓われた御言葉を通してであった。
その御言葉によって世界や万物は創造された。その中にはウイルスのように人の知恵や知識によってはすべてを明らかにすることができない極めて小さなものまで含まれる。これは神の御言葉がそれくらい精密であり、正確であり、欠点がないということを物語っている。神はその御言葉によって私たちを生かし、その御言葉を私たちの霊魂に入れ、それによって私たちが神の子となったということを確認させた。
視無言の霊は神の恵みと愛に満ちているし、真理と聖霊の賜物に満ちている。私の霊には足りないところがない。もちろん肉体として見ると、私はとても弱い存在である。しかし、私の肉体は影のように私の足をつかんでいるだけである。
神は愛する御子であっても十字架で苦難を受けさせ、血を流させた。神の御子はよみで3日間、死を味わい、そして、生き返られた。これは私たちの信仰の道であり、真理であり、いのちである。イエスは「誰でも私に従うのであれば、自分を捨てて自分の十字架を負わなければならない。そのようにしない者は私とは関係がない。私にふさわしい者ではない。」といわれた。私はこの御言葉を信じる。神はダボル山で「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。」(マルコ9:7)といわれた。私はこれを永遠ないのちの約束であり、戒めであると信じる。
視無言はこのために60年近く孤独で厳しい道を歩んできたが、常に喜びと感謝をもって歩んできた。このような苦難や死を経なければ、私にはいのちの復活の代わりに裁きの復活が待っていたであろう。しかし、私にはいのちの復活についての約束がある。それで、私には感謝と喜びに満ちているし、私の霊魂は幸せである。私はその日を待ち望む。
多くの預言者がエルサレムに行って死んだし、主もそのようにされた。パウロもそれを期待した。人の肉眼にはそのような姿が呪いに見えるが、霊の目にはその実状がはっきりと見える。その道は霊魂を幸せにし、光の中にとどまらせ、栄光に導く道である。
このような私の霊魂を惑わす者がいる。悪魔がエバを惑わしたように、神の御心を歪曲し、変わったかのように偽るのは誰であろうか? 光の天使のように偽装するへびではないであろうか? 視無言は7月12日に与えられた恵みに感謝している。これからどのようなことが待っているのかはわからないが、すべてが主が備えられたことであると知っているために、感謝するだけである。私が進む道は真理だけである。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室