神の愛
(ヨハネの手紙第一4:15~19)
神は
愛でおられる
その方が
愛をこの世に現された
愛する御子をこの世に遣わされた(ヨハネ3:16)
私たちに
神のまことの愛を受けさせて裁きの日に大胆さを
もたせるためであった(ヨハネ3:18)
カインは弟アベルを殺しながらも、自分が勝利したと考えないで、
他の人に殺されるのではないかと恐れた(創4:14)
この世で悪を行って幸せなように見えたとしても、
その霊魂は裁きの日に恐れを避けることができない(へブル10:30~31)
神は私たちを愛して、
私たちの霊魂の恐れを担われた(Ⅰヨハネ4:18)
神が私たちに
愛を与えられたのは
恐れをなくさせるためであった(ヨハネ15:9~12)
神の愛を受けた者は
兄弟を愛する
これは神が自分の中に入って来られたという証しである(Ⅰヨハネ3:14~15)
恐れがある者は愛さない
恐れがある者は必ず裁きを受ける
○ 隣人の霊魂を顧みないのは人殺しである
ニネベの人々がその人を罪に定める
○ 愛する者は恐れがない者である
神の愛がその中にある
兄弟の霊魂を愛する者は恐れに勝利する
○ 自分の霊魂に恐れがないのか、試してみなさい
愛がない者は他の人を罪に定める
これはカインのように自分の恐れを現すのである
※ 愛そう、霊魂を救おう、恐れに勝利しよう
愛する者は恐れをもたないし、幸せである
神の愛がその中に満ちている
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 11. 24 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
そのとき、満24歳の青年は信仰だけをもって大胆に全国に出て行き、リバイバリストとなった。その青年は25歳のときに牧会をはじめ、ただ聖書一冊をもってソウルに上って来た。26歳のときに聖霊によってソウル連合救国聖会のメイン講師となり、大型天幕をもって巡回リバイバル集会を開いた。25歳のときにバプテスマの問題のためにメソジスト教会から宗教裁判を受けた。そして、メソジスト教会から離れ、独立宣教をし、アメリカの独立宣教会と手を組んで、そこで牧師按手を受けた。1966年8月11日のことであった。そして、1969年11月30日、教会を開拓し、独立バプテスト教会を創立した。それが今日の聖楽教会である。
長老教会とメソジスト教会が互いに異なるのは教理である。長老教会は「予定説」を信じるし、メソジスト教会は自由意志を信じる。バプテスト教会は教理や規定をもたないで、ただ聖書を信仰生活の模範とする。「教会の法と聖徒の信仰生活の定めはただ聖書であり、イエス・キリストが唯一の立法者である。」という理想をもつ。
バプテスト教会とペンテコステ教会が異なるのは以下の点である。純福音教会をはじめとするペンテコステ教会はペンテコステの体験を信仰の絶対的な価値と考える。しかし、バプテスト教会はこれに反対し、「信じる者はイエスを信じるときに聖霊を受ける。神癒、すなわち病気を癒す行為はすでに終結し、今は医者の手に委ねられた。」と主張する。そして、神癒の働きを異端視して罪に定める。そのようなバプテスト教会から出て来た者がペンテコステ教会を建てたのである。それゆえ、ペンテコステ教会は必ずバプテスマを受け、聖霊の賜物を受ける。
バプテスト教会とカトリックが異なるのは以下の点である。カトリックは洗礼を行い、バプテスト教会はただ主イエスが命じられた戒めに従って「バプテスマ」を信仰告白とする。今日、自分はキリスト教会であるといいながらも続けてローマ・カトリックの信仰告白から脱け出すことができない者がいる。洗礼を授ける代表的な教会は長老教会、メソジスト教会である。カトリック、長老教会、メソジスト教会から迫害を受けたバプテスト教会員は約5000万人が殉教したという。そのときに生き残った者がアナバプテスト(Anabaptist)である。
カトリック、長老教会、メソジスト教会は憲法という教権をもっており、総会あるいは総理監督の下に存在する。この教権は聖書よりも上にある。私たちの教会はただイエスが教会のかしらであり、教会はその体であると主張する。独立教会とは教権の支配を受けない教会という意味である。私たちは唯一の神、その方が遣わされたイエス・キリスト、その方が遣わされた聖霊によってイエスの名を信じる。独立教会の価値を十分に理解して教会を守ろう。アーメン。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室