2022. 10. 30. 光の子になろう (ヨハネの福音書12:31~36)

光の子になろう
(ヨハネの福音書12章31~36節)

神は
栄光の中におられる
その方が
天で罪を犯した天使を裁きの時まで(Ⅱペテロ2:4)
暗やみに閉じ込められたが、その天使を竜とも、蛇とも、
悪魔とも、サタンとも呼ぶ(黙12:9)
その天使は天に居場所がなくなり、この地に追い出されてきた
この地は暗やみの中にあるし、悪魔は暗やみの権勢をもって抑圧する
そこでは罪が支配し、(ローマ5:21)
死が支配する(ローマ5:17)
霊魂は死を恐れ、生涯、死に縛られ、(へブル2:15)
暗やみの権勢に従い、不従順の子の中に働いている支配者に従っていた(エペソ2:2)
ついに時が来て、(ヨハネ12:31)
神の御子が悪魔の働きを滅ぼすために来られた(Ⅰヨハネ3:8)
それゆえ、この世を抑圧していたこの世の支配者は裁きを受けて、
底知れぬ所に落とされた(ヨハネ16:11)
この世の霊魂に光として来た方が(ヨハネ8:12)
私たちの心の中に入って来られたために、私たちは光の子となった
光の子は光の中で行い、光を輝かせる(マタイ4:16)
神は栄光を受けて喜ばれる(Ⅰテモテ6:16)
聖霊に満たされるというのは光をさらに輝かせるということである(ヤコブ1:17~18)
○ 私たちがキリスト者であることを誇るのは
神から来る光を受けたためである
光を誇るというのは自分の中におられる方を現すということである
○ 神の光の中にいれば、つまずくことがない
自分の霊魂を聖くして、主の日、すなわち
イエス・キリストが降臨されるときに栄光を受ける
○ 光は兄弟を愛することによって現れる
イエスの戒めに従って愛せば、光である
光の子のように行動して従わなければならない
※ 私は光の子である
光は私の中にある真理である
光を輝かせよう、光を輝かせよう、アーメン

2022. 10. 16. イエスはよみがえりであり、いのちでおられる (ヨハネの福音書11:17~30)

イエスはよみがえりであり、いのちでおられる
(ヨハネの福音書11章17~30節)

神は
永遠に生きておられる
その方が
御子をこの世に遣わされたのは信じる者が救いを受けて
神のように生きるようにするためであり、永遠のいのちを与えるためであった(ヨハネ3:16)
それゆえ、
御子はいのちであり、よみがえりでおられる(ヨハネ11:25~26)
私たちの信仰は信念ではなく、
イエスを誰だと信じるのかというものである(マタイ16:15)
イエスをよみがえり、いのちと信じるのが答えである
もちろん復活は最後の時になされる(黙20:6)
しかし、
イエスの名の権勢は天においても、地においても、
地の下においても通用する(ピリピ2:10~11)
イエス・キリストは昨日も今日も永遠に
同じでおられる(へブル13:8)
死んだ肉体が生き返るのは今の世でも十分に起こることであるし、
イエス・キリストの賜物である(マタイ10:7~8)
イエス・キリストの神癒は今の世で受ける賜物である
天国は激しく攻める者が奪い取る(マタイ11:12)
天国を攻めるように、力によって癒しを受けることを求め、
力を尽くして、主の御言葉と力の中に入って行かなければならない
主は人の霊魂、骨髄、墓まで探して、
入って行かれる(ヨハネ11:39~44)
○ 第一に、主を信じなければならない
そのようにしてこそ、癒しを受ける
○ 第二に、御言葉を信じなければならない
主の御言葉はいのちであり、生かす霊である
○ 第三に、信じて従ってこそ、しるしが現れる
イエス・キリストのしるしは証しである
※ 静かな宗教人がもつ徳望に陥らないで、
はね回る子牛のように活動し、
信じることを口で認め、主に栄光を帰そう

2022. 10. 09. イエスと父はひとつでおられる (ヨハネの福音書10:22~39)

イエスと父はひとつでおられる
(ヨハネの福音書10章22~39節)

神は
栄光を受けられる
その方は
御子によって栄光を受けられる
自分を神という者は自分の栄光を
求める(詩29:1~2)
神から遣わされて神の働きをするという者は
自分の栄光を求めないで、
自分を遣わした父の栄光だけを現す(ヨハネ7:16~17)
「私はあるという者である」という「エホバ」は自分の栄光を求めるが、
イエスは父から遣わされて来て、父の働きをしながら、
栄光を父に帰す
それゆえ、
イエスは「私と父はひとつである」
といわれた(ヨハネ10:30)
その方は自分を神の御子といい、父とひとつであるといわれた
聖霊は遣わされて来て、(ヨハネ16:7~8)
イエスを証しされる(ヨハネ15:26)
それゆえ、イエスとその方はひとつでおられる(ヨハネ16:13~14)
イエスは「私が父に願い求めて、
聖霊をあなたがたに遣わす」といわれた(ヨハネ14:16)
それゆえ、御子と父と聖霊はひとつでおられる
○ 三位がひとりでおられるということを信じるのが私たちの信仰である
これは人が作った教理ではなく、聖書に記録されたことである
○ イエスは教訓やしるしをもって
父なる神の働きを現された
そして、「これは父の働きである」と強調された
○ 私たちは父と御子と聖霊の証しがひとつであるということを信じるし、
これについての証人となる
自分が伝えることがどのような意味であるのかをはっきりと知らなければならない
※ 聖霊に満たされて従うのは
イエスを信じることである
これは神に栄光をささげることであるし、信仰である

2022. 10. 02. 羊の門に入って行きなさい (ヨハネの福音書10:7~18)

羊の門に入って行きなさい
(ヨハネの福音書10章7~18節)

神は
まことの愛でおられる
その方が
人類を愛して、罪から救うために天の門を開かれた(ヨハネ10:2)
救いはその門に入って行くことである
イエス・キリストは門であり、羊の門である(ヨハネ10:7)
イエスが自分を羊の門といわれたのは
イエスによってだけが入って行くことができる道がその門にあるためであった
イエスは十字架で苦難を受けることによって(ヨハネ3:14~16)
復活に至られた(ヨハネ11:25)
イエスの功労が羊の門である(ルカ12:50)
イエス・キリストが十字架で死んで
よみがえられた、その功労が天国の門である
イエスが天から遣わされた、
助け主の聖霊も(ヨハネ14:16)
イエスの復活と十字架の血によって
私たちの心に入って来られた(使2:38)
私たちもその功労を受けて門に入って行き、
牧草を食べ、水を飲む(ヨハネ7:38~39)
羊の門をなすために
その方が受けられた苦難はどんなに大きかったであろうか(マタイ16:21~23)
○ 羊の門はバプテスマである
バプテスマは天国の門であるし、ただその門を通ってこそ天国に入って行く
イエスの功労はバプテスマである
○ イエスはこの門を通るために(ルカ12:50)
バプテスマを受けられたが、それは死と復活であった
天国の門は羊の門だけである
○ イエスの人はこの門を通って
神の国に入って行く
それはバプテスマを受けることであり、主の功労を着ることである
※ イエスの功労は
神の義に従われたことである
私たちはその功労を恵みとして受けた