작성자: Berea Japan
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엔트리 Berea Japan
2023. 07. 23. キリストの中で神の国を受け継ぐ者となろう (エペソ人への手紙1:11~12)
キリストの中で神の国を受け継ぐ者となろう (エペソ人への手紙1章11~12節) 神は私たちに神の国を受け継がせた 私たちは天を受け継ぐという責任を負う 天の働きをするというのは私たちの本来の生涯に追加された、 ひとつの選択事項のようなものではない 私たちの存在に付与された、祝福と栄光がある分け前、 割り当てられた取り分である 私たちはキリストの教会として 神の国を受け継ぐ そのとき、神から施される、天に属する霊的な祝福と恵みによって助けを受ける それを保証として受ける 私たちはキリストから預けられた救いの働きを この地で誠実に成就していく、 忠実な同労者である これによって私たちは 神の国を受け継ぐ者として 恥ずかしいところがない本分を果たすようになる
2023. 07. 16. キリストの中でひとつに集められることを予め定められる(エペソ人への手紙1:8~10)
キリストの中でひとつに集められることを予め定められる (エペソ人への手紙1章8~10節) 神は聖く、傷のない者にしようとして選ばれた教会、 私たちを救われるだけでなく、 私たちがこの世の終末に備えることができるように 恵みとして知恵と洞察力を与えられる これによって神が成就しようとする計画は 人間の弱さによって 私たちが知ることができない奥義ではなくなった 教会である私たちがそのような奥義を知るようになったのは 神が予め定められたためである 私たちに現れたひとつの大きな奥義は この世の最後の日に、すべてが キリストの中でひとつに集められるということである 神の計画がすべて完成するその日、 キリストの教会に属するものだけではなく、 この世の物理的なものまでも キリストの前に集められる その方の御前にひとつに集められる もう一度言うと、キリスト者の霊的な生涯は 全宇宙的な構図で進められるのである これによって私たちは 「霊的なものだけではなく、物理的なものまでも すべてキリストに集められなければならない」という事実を はっきりと覚えなければならない
2023. 07. 09. キリストの血による贖い (エペソ人への手紙1:7)
キリストの血による贖い (エペソ人への手紙1章7節) 神と私たちの関係は どのような関係であろうか? また、最も根本的な次元で 神の御子イエス・キリストは 私たちとどのような関係にあるのだろうか? 神が私たちに施してくださったものは 罪による裁きの危機から 私たちを救い出してくださったということよりもはるかに大きなものであった その方は私たちを地獄の刑罰という運命から救い出すために その価を払って私たちを買い取り、 自分の所有としてくださったし、 それによって私たちを完全な法的な自由に移してくださった その方は損害も受け入れた愛をもって 私たちの罪を贖ってくださった ここでさらに重要なのは 「その方が私たちを救うために払われた価は 神の御子、自分の命であった」という事実である その方は私たちのために自分のすべてを犠牲にしてくださった キリストは私たちの永遠な主でおられる 私たちは神の御子の血によって買い取られた、 神の御子の体である
2023. 07. 02. 神の子とされる (エペソ人への手紙1:4~6)
神の子とされる (エペソ人への手紙1章4~6節) 神は創世の前に私たちを選んで、 天に属する霊的な祝福をもって祝福してくださった それは私たちを神の御子に属させ、 御子を愛するその愛をもって 私たちを愛するためであった その方が私たちを選ばれたというのは 神の子という身分をもたせるために 私たちを養子縁組にしたということであるし、 同時に、聖く、傷のない者にしようという 神の目標と要求の前に 私たちを立たせたということである 神の子となった私たちは神の特質に似た者であるという事実を 証明しなければならない 神の子になったというのはその責任を負うようになったということである 結局、この地で神の大きな愛と驚くべき恵みに 感謝と栄光をささげるのは 他でもなく、 神から選ばれて神の子とされた者、 キリスト教会の忠実な者だけである その事実は宇宙にはっきりと現れるしかない
2023. 06. 25. 教会を選ばれる (エペソ人への手紙1:3~6)
教会を選ばれる (エペソ人への手紙1章3~6節) 私たちは信仰の生涯の奮闘を終えて勝利し、 無事に天の御国に入って行くことができるであろうか? 人生はそれ自体が決してやさしくない旅路である また、堕落した人性は 聖くてしっかりとした信仰を維持することにおいて 何の役にも立たないだけではなく、 絶えず挑みや危機をもたらす 私たちはそれぞれ孤独に走って行かなければならないのであろうか? そうでなければ、私たちの生涯の近くにおられる、 神の助けと導きを受けて走って行くのであろうか? 私たちの救いの旅路は主イエスの教会とともに 作っていくものであろうか? そうでなければ、聖徒それぞれの力や力量に頼って 作っていかなければならない、個人的な課題であろうか? 私たちはキリストの中で生まれ変わったが、 それによって栄光や喜びに満ちている永久的な未来が 保障されているのであろうか? 本文の御言葉は これらの質問に答えをもたらす、 霊的な洞察力を与える 天地を造られた神の 永遠で絶対的で無限な計画の中に 私たちを案内する
2023. 06. 18. 聖霊に逆らってはいけない (マタイの福音書12:31~37)
聖霊に逆らってはいけない (マタイの福音書12章31~37節) 神は 全能でおられる その方が なさることに逆らうことができる者はいない(ルカ1:37) 万有と万物はその方によって造られた被造物である その方が「あれ」といえば、あるようになるし、 その方が「なくなれ」といえば、なくなる(へブル1:2~4) 私たちは驚くべき真理を悟った 目に見えない神から(ヨハネ1:18) 耳で聞いた(ヨハネ1:17) その方が目に見えるかたちをもって現れた(Ⅱコリント4:4) そして、天に上って、 信じる者に聖霊を注がれた(使2:32~33) 聖霊は助け主であり、私たちの救い主でおられる(ヨハネ14:15~17) 人々は目に見えないといって、神を否定した(ヨハネ1:45~46) その御言葉を聞いたとしても疑った 人の子として来られたとしても排斥して殺した(ヨハネ8:48) その方が 聖霊によって再び私たちに来られたが、(Ⅰヨハネ4:13) 聖霊に逆らえば、最後である(へブル6:1~8) 罪の贖いのためのいけにえも悔い改めの機会も残されていない(へブル10:26~31) 以前の罪はすべて赦しを受けたとしても、 聖霊に逆らう罪はこの世でも次に来る世でも赦しを受けることができない ◎ 聖霊に逆らってはいけない、信仰をもって従わなければならない 聖霊は最後の恵みであり、真理でおられる ◎ 聖霊に逆らってはいけない 聖霊の働きは私たちを復活に導く ◎ 律法が定めた罪は 十字架で贖いを受けたが、 聖霊に逆らう罪にはそれを贖ういけにえがない ※ 聖霊はそれぞれの心に入って来ておられる 遠くにおられるのではなく、私たちの中におられる 私たちの霊魂を悪魔と罪から救われる