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2020. 09. 13 聖徒の信仰 (コリント人への手紙第二10:3~8)

  聖徒の信仰 (コリント人への手紙第二10:3~8) 神は 全能でおられる その方が なさることをふさぐことができる者はいない(マタイ16:23~24) その方の御言葉を否定することができる者もいない(マタイ17:5) 天地はなくなったとしても、その御言葉は永遠である(マタイ24:35) このいのちの御言葉が私たちの心に与えられた 私たちの信仰はこの御言葉を信じるものである(ヨハネ8:31) そして、 私たちは肉体にあって不義と戦うが、 肉体の感情や理性をもって戦うのではなく、 御言葉を信じる信仰をもって戦う(マタイ4:1~11) その信仰は私たちの前にある要塞を破るほどの力をもつ この世はすべての思弁、理論によって十字架の道を否定するが、 私たちは神の真理によってそれを打ち砕く この世は神を知る知識に逆らって無理やりに罪に定めるが、 私たちはその高ぶりを打ち砕く さまざまなはかりごとや哲学がのさばろうとするが、 御言葉は生きているし、よみがえられた方の力がそれをつかんで、 イエス・キリストに服従させる(ピリピ2:10~11) 聖霊が聖徒に大きな感動を与えて働かれる(Ⅰコリント12:7~10) 〇 私たちの信仰には節度がある      一度、主を認めて主と結びついたのであれば、     霊的な花嫁のように、永遠に変わることはない 〇 御言葉の信仰をもったといいながらも、     「宗教人となった、信者となった」といって二心を抱き、     卑怯になり、堕落する者もいる 〇 御言葉を受けたのであれば、神となったのであり、     神の子となったのである     私たちの霊魂は天に属する ※ 神に属する者はまず自分の肉に勝利し、    この世のすべての偽りを分別し、    復活の望みに満たされる

2020. 09. 06 宝を土の器に入れて (コリント人への手紙第二4:7~15)

  宝を土の器に入れて (コリント人への手紙第二4:7~15) 神は 霊でおられる その方は 霊の本体であり、天という永遠で無限な方でおられる(へブル1:3) 人は 神が土によって造った土の器のようなものである(創5:2) 土はどんなに苦しんで、顔に汗を流したとしても、 最後には土に帰るだけである(創3:19) 肉体は結局、土に帰る しかし、 神は人の心の中に霊、すなわちいのちを与え、(創2:7) その血によって守られたが、これが永遠のいのちである(使20:28) 神は聖霊を遣わして永遠にともにさせ、それによって(ヨハネ14:16~17) 土の器の中に恵みと信仰という宝を入れた 宝を多くもった者はどのような試練も恐れない アブラハムは旅人(イブリ)であったが、 神から与えられた祝福を守った(創12:2~3) イサク、ヤコブ、イスラエルに 大きな祝福を享受させた 人類の救い主が彼から出て来た(創22:17~18) 聖霊が私たちの霊魂を神殿とし、真理とともに臨まれた 聖霊を迎え入れたということを忘れてはいけない(Ⅰコリント3:16~17) 神の血を迎え入れたということを幸せに考えなければならない 〇 私たちは私たちの罪によって死なれた方をその身に帯びて、     その方のいのちをその中で現そうとする 〇 主の恵みと真理が私たちの体の中に満ちあふれるようにしなければならない     聖霊が証しして現れるようにしなければならない     自分の中にある大きな権勢を忘れてはいけない 〇 私たちの肉体は主のために絶えず死に引き渡されるが、     それはイエスのいのちを死ぬべき肉体に現すためである ※ 私たちは心に信仰をもった    これが宝を土の器に入れたということである    主イエスが臨まれるときまで宝を守らなければならない

2020. 08. 30 聖霊によって生まれ変わりなさい (ヨハネの福音書3:1~8)

  聖霊によって生まれ変わりなさい (ヨハネの福音書3:1~8) 神は 生きている主人でおられる その方が 私たちの霊魂に向かって命じられた通りに、 私たちの霊魂は心、思い、品性、命を尽くしながら、 主に従って服従しなければならない(マタイ16:21~24) 肉にあったときの苦痛とは 暗やみをさまようことであった それは盲人が前を見ることができないようなものであった 今はバプテスマを受け、肉によって生まれた古い人を完全に 葬った(ローマ6:1~5) 聖霊によって生まれ変わらなければ、まことの幸せを得ることができない まことの幸せとはただ 聖霊の導きに従ってどこにでも行くことである その道が険しかったとしても、その環境が厳しかったとしても、ひとりではなく、 聖霊とともに歩むことである(ヨハネ3:8) これは神の御心通りに生きることであり、天で生きることである 生まれ変わらなかった者は宗教によって功労を積むが、 結局、土に帰るだけである(創3:19) しかし、聖霊によって生まれ変わった者は霊的であり、 神の国に入って行く(Ⅱペテロ1:3~11) 〇 聖霊によって生まれ変わらなければ、肉体に従って生きる そのような者の体は土に帰るし、 霊魂は裁きを免れることができない 〇 聖霊によって生まれ変われば、肉体は疲れたとしても、 霊魂は霊的であり、望みをもち、 神の国で生きる 〇 バプテスマを受けて古い人を葬ってこそ、生まれ変わることができる 聖霊によって生まれ変わった者からは聖霊の働きが現れる 恵みととともに賜物と力が満ちあふれる ※ バプテスマを受けたのであれば、従って服従し、 聖霊によって生まれ変わり、聖霊に満たされよう 風が吹くように、その方とともに歩まなければならない

2020. 08. 23 イエスを売る者、ユダ (マルコの福音書14:43~50)

  イエスを売る者、ユダ (マルコの福音書14:43~50) 神は まことでおられる その方が 真理を遣わされたが、真理はまことである(ヨハネ17:3) この世には宗教や律法があるが、それらは立派である この世は宗教によって修養を積み、徳を積む これによって信念をもつことができれば、それを成功と考える それゆえ、 国、王、貴族は宗教に心酔する 罪過を脱ぎ捨てて死後に極楽に至ると考える ある人は自分の良心を信じて頼り、苦しむ これは自分の心にある自分の偶像である(エゼキエル14:2~5) この世にはまことも、まことの言葉もない それゆえ、義人も、聖なる者もいない(ローマ3:9~18) このとき、神がまことの言葉である真理を遣わされた(ヨハネ8:45~47) 真理であるイエスはこの世に現れた唯一無二の義人でおられる(ヨハネ16:10) その方は宗教がすることができないことを成就された 良心が与えることができない自由を与えられた(ヨハネ8:32) イエスとともにいながらもその方を知らない者は 二心を抱く者であり、イスカリオテ・ユダのような者である ユダはイエスに口づけをしながら、不義と妥協した(Ⅱコリント6:14~18) 二股膏薬ごうやくという言葉があるが、 このような者は初めから悪魔である(ヨハネ6:70~71) 〇 悪魔がすでにユダの心に     イエスを売ろうとする思いを入れていたために、ユダはサタンであった(ヨハネ13:2) 〇 同僚である弟子たちもまったく知らなかったが、     イエスはイスカリオテ・ユダを知って、彼を悪魔といわれた 〇 宗教人は敵を作らないで、すべてと交わる     しかし、キリスト者には悪魔や不義という敵が存在する     イエスにもサタンという敵が存在する(マタイ16:23) ※ 愛する聖徒よ、ひとつの心をもとう    イエスを愛し、教会を愛し、    自分の霊魂を導く監督をひとつの心で愛する、松竹岩ソンチュグァムとなろう

2020. 08. 16 霊魂が幸いを得ているように (ヨハネの手紙第三1:2~4)

霊魂が幸いを得ているように (ヨハネの手紙第三1:2~4) 神は 賛美を受けるにふさわしい方でおられる その方が 神の幸せを与えるために御言葉を遣わされた(ヨハネ10:35) 天使を通して伝えられた御言葉を 律法、預言という(ガラテヤ3:19) また、イエス・キリストを通して伝えられた御言葉を福音という(マルコ1:1) 天国の知らせである福音はこの地にあるものではなく、 天から来た知らせを伝える(マタイ4:17) また、聖霊によって直接、私たちの霊魂に伝えられる御言葉を(ヨハネ14:26) 真理という(ヨハネ16:13) 福音は聞くものであるし、真理は霊魂の中で働くものである(ヨハネ1:14) 神のしもべである天使の力によって伝えられたものを 律法というが、これはしもべの霊である 神の御子の力によって伝えられたものを 福音というが、これは子としてくださる霊である(ローマ8:1~17) 律法は肉体の規定であるために、従えば、魂が祝福を受ける 真理は霊に命じられたまことの御言葉であるために、信じれば、 霊魂が救いを受ける(へブル10:8~10) それゆえ、律法によって祝福を受けるし、信仰によって救いを得る このように霊魂が幸いを得ている者はすべての点で幸いを得る 〇 イエスをはっきりと信じて真理に従えば、      霊魂が幸いを得、病気の癒しを受け、すべての点で幸いを得る     イエスの中には律法を完成したものがあるが、それは真理である 〇 十戒は律法の基本である     守れば、すべての点で幸いを得て、祝福を受ける     福音を信じれば、恵みと真理に満たされる 〇 私たちの霊魂はただ恵みと真理によって幸せになる     律法は肉体を幸せにすることができるが、     霊魂を救うことも幸せにすることもできない ※ イエスは恵みと真理を私たちの心に与えられた     その方に属した者は恵みと真理に満たされる     霊魂が幸いを得て、永遠のいのちを得る

2020. 08. 09 神の御心に従おう (マタイの福音書16:21~28)

神の御心に従おう (マタイの福音書16:21~28) 神は 父でおられる その方が この世に御子を遣わされた(ヨハネ3:16) 御子はただ父の御心通りに来て、(ヨハネ6:37~40) 父から与えられた戒めに従って、父の御心を成就された(ヨハネ10:17~18) 天には栄光、誉れ、(ヨハネ1:14) 神の幸せが満ちている 天から離れてよみ(宇宙)に下りて来た方は(へブル2:9) 虐待、貧しさ、誤解、不幸をすべて味わわれた 誰がその方の生涯をうらやましがるであろうか(イザヤ53:1~4) よみという宇宙の中にあるこの世には不幸、 苦しみ、呪い、死、硫黄の火だけがある(コロサイ1:13) イエスはここに入って来られた その方はユダヤ人としてお生まれになったが、ユダヤ人でも アブラハムの子孫でもなかった(ヨハネ8:58) 孤独なひとりの方でおられた(ヨハネ8:29) 結局、十字架で死になさいという戒めまで受けられたし、 必ずそれを成就しようとされた(マタイ16:21) 弟子は諫めて「そのようなことが起こるはずはない」といったが、 その場でサタン(神の敵)となった イエスは「下がれ、サタン」と りつけた 〇 神のことを考えないのはサタンである 人のことを先に考えるのもサタンである 〇 誰でも主に従おうとするのであれば、その御心に従いなさい 主を慰めて同情するのはサタンである 〇 主に従おうとするのであれば、自分を捨てて 自分の十字架を負って死になさいという戒めを受けなければならない 神の御心通りにしないのであれば、親も子どもも すべて神の敵となる(マタイ10:34~36) ※ 主に従い、その御心に従おう 命を尽くして主の戒めに従おう

2020. 08. 02 真理と偽り (ヨハネの福音書8:43~47)

  真理と偽り(ヨハネの福音書8:43~47) 神はまことでおられるその方がこの世に現そうとされたのはまこと、すなわち真理であった(ヨハネ8:32)神の御言葉は義から出て来るために、まことである神の霊はまことであるために、暗やみをもたない(ヨハネ3:21)神が御言葉を遣わされたが、その御言葉は真理であるイエスは真理でおられる(ヨハネ14:6)神の御子でおられるために、まことでおられる父と同じように、永遠のいのちでおられる(ピリピ2:6~8)それゆえ、神に属した者はまことである御言葉を聞いて従う(Ⅰヨハネ4:6)神の御言葉を聞かないのは神に属さないためである(ヨハネ8:38)悪魔は初めから偽りの父である(ヨハネ8:44)悪魔から出た者は悪魔の欲に従って偽る悪魔は初めから人殺しであるし、その惑わしは人殺しである滅びる者は真理を信じない(Ⅱコリント4:3)神の真理と悪魔の惑わしは永遠に異なる聖霊の御言葉は真理である聖霊は真理の霊でおられる(ヨハネ14:17)〇 自分が真理に属した者であるのか、悪魔の惑わしに陥った者であるのか、分別しなさい神に属した者は真理を悟る〇 悪魔に属した者は初めから偽る狡猾な姿だけを見て従えば、滅びる悪魔の目的は人殺しである〇 神の御言葉は真理であるイエス・キリストによってこの世に現れた聖霊がその御言葉を証しされる※ 偽りにだまされてはいけない偽りは悪魔から出て来るし、悪魔の霊である御言葉によって霊を分別しなければならない

2020. 07. 26 イエスを売ってはいけない (マルコの福音書14:43-50)

イエスを売ってはいけない(マルコの福音書14:43~50) 神は永遠な父でおられるその方がイエス・キリストを御言葉として遣わされたのは(ヨハネ1:14)この世を救うためであった(ヨハネ3:16)救いを受けた霊魂を天に連れて行くためであった(ヨハネ14:1~3)神は御子をこの世に遣わすときに、王宮や金持ちの家に遣わさないで、ナザレ人として遣わされた最も低いところ、疎外されたところ、捨てられたところに遣わされた(マタイ2:23)神の御言葉、すなわち真理は低いところからはじまり、全人類に宣べ伝えられた(マタイ11:2~6)神は謙遜な者を選び、高ぶる者に敵対されたが、このために罪人の友となられた(Ⅰペテロ5:5~6)イスカリオテ・ユダは主を迎え入れながらも、主を知らなかった偉大なしるしを見ながらも、復活を見ることができなかった信仰よりも良心を重視したために、イエスを探すよりも良心の抑圧を受けて死んだ教会員であったとしても二心を抱く信者はイスカリオテ・ユダのような者である教会の外ではこの世と親しくするが、教会の中では主と口づけをする(ヨハネ6:70~71)〇 自分の良心を守るといいながら信仰を守らない者は     宗教人である    どちらにも属さないし、自分の義だけをもつ〇 神にもこの世にも属さない者、    イエスを売りながらもイエスに口づけをする者は悪魔である    聖霊の導きはただ真理に従わせる〇 宗教人になってはいけない    宗教人になれば、イスカリオテ・ユダのように良心が抑圧を受けるために、    信仰に至ることができない※ イエスに口づけをしながらこの世と妥協してはいけない    これは悪魔がすることであるし、のちに捨てられる    信仰に移された者としてバプテスマを受け、霊的な者となろう

2020. 07. 19 血を流すまで罪と戦いなさい (へブル人への手紙12:1-13)

血を流すまで罪と戦いなさい(へブル人への手紙12:1~13) 神は義でおられるその方は善悪を分別する方であり、不義を赦さないで、永遠に滅ぼすために裁く(へブル10:30~31)神は義によって御心を定め、(マタイ3:15)ふところにおられる御子をこの世に遣わされたイエス・キリストが現れたのは父の御心をなすためであった(ヨハネ1:18)神の御心はその名にも現れているように、(マタイ1:21)自分の民を罪から救うことであるよみという宇宙は堕落した天使を閉じ込めたところである(Ⅱペテロ2:4)その最後は刑罰を与える火の池である(黙20:13~14)宇宙というよみにはいのちも望みもない現在、よみの主人は「ベルゼブル」という悪魔である「ベルゼブル」とは汚物の家の主人という意味である(マタイ12:24)主イエスの福音は「よみから出て来なさい、汚物の家から脱け出しなさい」という、権威ある命令である(マタイ4:17)イエスはよみの門を開いてよみがえったキリストであり、救いの門であり、天国の門でおられる(マタイ16:17~18)〇イエスの血は天国の門であり、いのちである(ヨハネ10:9)   聖霊は救いを受けた者をその門に入って行かせる   天の下でこの御名のほかに、人間に救いを受けさせる名はない〇その名を受け、よみがえられた主と結びつき、   神の国、永遠のいのちに入って行く   聖霊に従って生きるというのはその道を歩むということである〇よみから永遠のいのちに移って行く門はひとつだけである    それはバプテスマである    バプテスマはキリストと結びつく唯一無二の権勢である※ 聖霊の名によってバプテスマを受ければ、霊的な人となる   そのために罪と戦わなければならない   血を流すまで戦って勝利しなければならない(へブル12:4)

2020. 07. 12 羊の門でおられるイエス (ヨハネの福音書10:7-18)

羊の門でおられるイエス(ヨハネの福音書10:7~18) 神は愛でおられるその方が御子をこの世に遣わされたのはこの世の救い主とするためであった(ヨハネ6:39~40)イエスにはこの世を救う責任がある(ヨハネ10:15~18)天は虚空ではなく、霊であり、水晶のような実存である神は宇宙よりも無限に大きいし、永遠でおられる(ヨハネ10:29)宇宙は虚空であるために、むなしくて暗い(創1:2)宇宙には死の権勢がある霊的には絶望だけがある(エペソ2:1~3)それゆえ、霊は死んで、裁きと刑罰を待つ(黙20:12~15)イエスは私たちを救うために戒めを受けられたが、(ヨハネ10:38~39)それは私たちの代わりに死ぬこと、(マタイ20:28)そして、私たちをよみの権勢、宇宙から救うことであった私たちが救いを受けるというのは私たちの霊魂が天に移されるということである(エペソ2:4~9)バプテスマを通してよみから足を洗い、霊に属した者、天に属した者となる(使19:2~7)天に入って行く門はただひとつである(ヨハネ10:7)イエス・キリストであるそれゆえ、イエスを仲介者という(へブル8:6)〇 バプテスマはいのちを得る悔い改めである    聖くなり、よみから移され、天に入って行くものである〇 イエスを超越して天の恵みを受けようとする者は    天で盗人、強盗として扱われる    神の義によってだけ入って行くことができる〇 十字架につけられ、無視を受けた主の死が    天に入って行く天国の門である    バプテスマは天国の門に入って行く霊的な体験である※ 物質的に豊かになったとしても、天国に入って行くことはできない    自分の功労によっても入って行くことはできない    ただイエス・キリストによって入って行く