
パラダイスに行く道
(ルカの福音書23:39~43)
神は
天におられる
その方の
御子はこの地に死ぬために来られた(マタイ20:28)
イエスの死は必ず血を流さなければならないものであった(へブル9:22)
血を流さなければ、誰も救うことができない(ヨハネ6:53)
イエスは十字架での死を通して(Ⅰコリント1:18)
人類の罪を代わりに担われたし、
自分の血によって人類の霊魂を買い取られた(使20:28)
そして、
永遠なよみ、すなわち死からいのちに行く道を
開かれた
その方は道でおられる(ヨハネ14:6)
天に行く道は
イエスを信じる者が死んでパラダイスに至り、
イエスが再臨される日に復活するという道である(Ⅰコリント15:20~22)
それゆえ、
肉体の死を恐れるのは信仰ではない
必ず死ななければならないし、パラダイスに入って行かなければならない
イエスが再臨される日にそこで復活の新しい服を着て、
私たちの父の家に入って行く(Ⅰテサロニケ4:13~17)
○ 聖霊は主を再び生かされたし、
私たちの霊魂を生かすために
私たちの心に入って来ておられる
○ 主イエスの福音はその招待状であるために、それを受けて、信じて、
バプテスマを受けなければならない
○ 復活の新しい服を着るために
主イエスの招待を受けなさい
霊魂がその招待を受けなければならない
恵みを受けた者はその招待状を受けた者である
※ 宗教人にならないで、
イエスを信じる者となろう
真理を知る、救いを受けた者となろう
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 7. 28 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
愛する聖楽人、ベレヤ人のみなさん! 私たちの信仰は自ら開拓したものではなく、神から受けたものです。神は永遠の前から神のふところにおられた奥義を私たちに与えてくださいました。人間は自分の知恵に酔い、神を無視します。バベルの塔を建てた高ぶりは再び天を突き刺そうとしています。
これは人類が自分の力によって幸せに生きようという挑みですが、人類は結局、それによって滅びるしかありません。人類が知恵や知識、文化や文明を追い求める結果は滅びです。このような事実を知っているのはただ神おひとりです。
神は人類を憐れんで愛されました。それゆえ、神は自分の中にある救いの奥義を人類に知らせようとして、御心を定められました。私たちは神がこのように定めて成就された御心を信じて従い、それによって神の義に至るようになりました。
私たちは人の義や思いによっては決して救いに至ることができないということを知っています。また、私たちは自分の正体を隠している悪霊が私たちの信仰の前で自分の正体を現して泣き叫びながら離れて行くことを体験しています。これは私たちの信仰が霊的なものであるということを証ししています。イエスも信じる者にはっきりと「信じてバプテスマを受ける者は救いを受ける。信じる者にはこのようなしるしが伴う。私の名によって悪霊を追い出す。」といわれました(マルコ16:14~17)。
悪霊を追い出すことは私たちの信仰が霊的なものであるということを証明しています。今日、教会生活をする者は多いですが、その中には霊的な者と霊的でない者がいます。彼らをそれぞれ「信仰生活をする者」、「宗教生活をする者」と呼ぶことができます。信仰生活をする者が宗教生活をする者と妥協するのであれば、それは霊的な者が再び肉体の者になろうとするのと同じです。これはことさらに罪を犯すことです(へブル10:26~30)。
もう一度、言います。キリスト教会の基礎は信念ではなく、啓示です。その啓示は神の奥義です(エペソ3:3、ローマ16:25~27)。① 自ら悟る啓示は「自然啓示」といい、② 神が知らせた啓示は「一般啓示」といい、③ 神が自分のふところにおられる奥義を知らせて「信じなさい」といわれた啓示は「特別啓示」といいます。
アベルの時からノアの時まで人々は自然啓示を頼りましたが、彼らの霊は捕らえられており、裁きを受けます。また、アブラハムの時からバプテスマのヨハネの時まで人々は一般啓示を頼りましたが、彼らはアブラハムとともにいたのちに裁きを受けます。そして、十字架で主の招待を受けた強盗から最後の日に救いを受ける霊魂までは特別啓示を頼りますが、彼らはパラダイスに入って行きます。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室