2021. 02. 28. 罪を赦す権威 (マルコの福音書2:1~12)

罪を赦す権威
(マルコの福音書2:1~12)

神は
義でおられる
その方が
万物を創造された
御心に従って創造し、(へブル11:3)
御心に従って行うようにされた(マタイ6:11~13)
神の御心に逆らうのは罪悪である(ローマ12:1~2)
神の御心は神の義による
神の御子もその義に従われた(ヨハネ6:38~40)
この世に来て十字架で死なれた(ピリピ2:6~8)
その方がこのような戒めを受けられたのは(ヨハネ10:17~18)
この世を判断するためであった(ヨハネ3:16~18)
イエス・キリストは義でおられる(ヨハネ16:10)
イエスを信じる者は誰でも義とされる(ローマ8:33~35)
イエスを信じない者は不義なる者として裁きを受けた
それゆえ、
主イエスが罪を赦されるのであれば、罪の赦しを受ける(マタイ9:6)
これはその方が信仰を見て決められるのである(マタイ9:2)
信じる者は罪の赦しを受ける
罪は実状であるし、報いとして現れる
呪いや病気として現れるし、最後には地獄の火として現れる
イエスを無視しないで信じてこそ生きる(ヨハネ11:25)
○ イエスを信じれば、救いを受ける
救いを受ければ、霊と肉に自由を得る
○ イエスを疑ってはいけない
その方は神でおられるし、
善悪を分別する方でおられる
○ 罪を赦す権威は人に与えられたものではなく、
神の御子が行使するものである
その方は天と地のすべての権威を受けられた
※ すべての悪から自由を得るためには
イエスを信じて従いなさい
救いは現在から永遠まで実状である

 

 

 

2021. 02. 21. 救いを受けたことを証ししなさい (マルコの福音書1:40~45)

救いを受けたことを証ししなさい
(マルコの福音書1:40~45)

神は
誰も目で見ることができない
その方は
霊でおられるために、肉眼によっては探すことができない(ヨハネ1:18)
しかし、
御言葉を遣わして聞かせ、(マタイ3:17)
肉体として現れて見せた(Ⅰヨハネ1:1)
神は実存でおられる(詩42:2)
人はそのかたちのかたちである(創1:26~27)
イエスは神の本体のかたちでおられる(Ⅱコリント4:4)
その本体は天であるし、天は霊である(ヨハネ4:23~24)
御言葉は初めの前からその中にあったが、(ヨハネ1:1)
聖霊によってこの世に来た(マタイ1:20)
それによってこの世には大きなしるしが現れた(ルカ2:8~10)
イエスの名は救いであり、癒しである(マタイ1:21、マラキ4:2)
その当時、らい病人は呪いの象徴であったが、
イエスの恵みと力によって癒しを受けた
救いを受けた者はその事実を証ししなければならない
第一に、モーセが命じたささげ物をもって証しする(マタイ8:4)
第二に、体を見せて証しする
第三に、聖霊によって証しする(ヨハネ15:26~27)
○ 救いは観念的なものではなく、実状であり、現実である
イエスの恵みは実状であり、現実である
聖霊の働きは実状であり、現実である
○ 信仰は実状であり、現実である
神の国は実状であり、現実である
イエスの力としるしは実状であり、現実である
○ 教会は死んだ宗教ではなく、実状である
聖霊が働かれる実状であり、現実である
それゆえ、その真理を証ししなければならない
※ 自分が信じるものを証ししなさい
物質があるところに心もあるといわれた
心を尽くして証ししなければならない

 

 

 

2021. 02. 14. イエス、伝道するために祈られる (マルコの福音書1:35~39)

イエス、伝道するために祈られる
(マルコの福音書1:35~39)

神は
全能者でおられる
その方が
力をこの世に現された
イエス・キリストによって現された(使10:38)
イエスは
神の御子でありながらも、父との関係のために
常に祈られた(ヨハネ11:40~42)
祈りは神との交わりである(ヨハネ14:20~21)
イエスは聖霊の導きを受けていたときにも、
朝早く寂しい所に行って、
祈られた(マルコ1:35)
そして、弟子たちに
「近くの別の村里に行こう、そこにも福音を知らせよう、
私はそのために出て来たのだから」といい、(マルコ1:38~39)
ガリラヤ全地を回りながら伝道し、
悪霊を追い出された
このような力がどこから出て来るのかと尋ねる弟子たちに
「祈りによらなければ、追い出せるものではない」といわれた(マルコ9:28~29)
祈りは物乞いをする道具ではなく、(マタイ6:5~8)
主の働きのために力を求めるものである
○イエスが苦しみもだえて切に祈られたときに、
天使がイエスを力づけた
天使もともに助ける祈りが信仰である
○信仰があるといいながら祈らなければ、
神が一方的に支配されない
ただ祈りによって神とともにすることができる
○主の目的は伝道の働きである
伝道するときには力としるしが伴わなければならない
伝道、しるし、力はひとつである
※信じる者にはしるしが伴う
悪霊が追い出されるし、病人が癒される
イエス・キリストは昨日も今日も同じである

 

2021. 02. 07. イエスが病気を癒される (マルコの福音書1:29~34)

 

イエスが病気を癒される
(マルコの福音書1:29~34)

神は
救いという御心をもたれる
その方が
イエスをこの世に遣わされた
イエスという名は自分の民を罪から救うという意味である(マタイ1:21)
罪からの救いとは宇宙、すなわちよみからの救いという意味である(マタイ16:18)
よみの権勢は死である(使2:27)
罪の報酬、価は死である(ローマ6:23)
律法の力は罪であるし、罪のとげは死である(Ⅰコリント15:56)
イエスの名はその方がなさることの答えである(ヨハネ14:13~14)
それは死、悪魔、病気、呪いからの
完全な救いである(マルコ16:17~20)
その救いは自由である(ヨハネ8:36)
イエスがおられるところには多くの病人が集まってきた
その方が病気を癒されるときに、悪霊は叫んで離れて行った(マルコ1:23~26)
このような働きは当然なものであるが、
教会で病気が癒されるというと、人々は嘲笑う(マタイ12:22~28)
悪霊を追い出す働きを迫害し、罪に定める
しかし、悪霊も自分が神の御子によって
追い出されるということを告白する(ルカ8:27~33)
聖霊の働きは力としるしである(使1:8)
○ 真理は権勢をもつ
誰でも真理によって自由を得なければならない
聖霊は真理の霊でおられる
○ イエスの名は救いである
霊魂、肉体、環境を新しくする、
天の栄光であり、救いである
○ 福音には力が伴わなければならない
救いは抽象的なものではなく、
現実的なものであるために、疑ってはいけない
※ 信仰をもって病人に手を置けば、その病人は癒される
御言葉によって悪霊をりつければ、悪霊は離れて行く
信仰の祈りには不可能がない