2021. 04. 25. イエスの教訓 (マルコの福音書4:1~9)

イエスの教訓
(マルコの福音書4:1~9)

神は
実存でおられる
その方の御言葉は
生きている、いのちの御言葉である(ヨハネ6:63)
聖書は旧約と新約に区分されている
旧約にはモーセと預言者の教えがある
モーセはイスラエルのために律法を受けて伝えた(出20:1~2)
預言者はイスラエルの未来を預言した(民11:28~29)
モーセと預言者が受けたのは主に幻であった(使2:15~21)
天使から聞いて学んだものであった(使7:53)
エホバという天使は主イエスが来られるときまで
イスラエルの神として任務を任された(ガラテヤ3:19)
イエスが来られたのちには
天国の福音がすべての人に宣べ伝えられた(マタイ4:17)
この福音は全人類の救いの福音である
天使が伝えた言葉と幻はたとえであり、
実状を見ることができないで伝えられたものであった
それゆえ、悟る者がいなかった(ヨハネ5:33~34)
イエスはそのたとえを悟らせるために
たとえによって教えられた(マタイ13:1~8)
神とイスラエルの間では天使がたとえによって語った(へブル9:1~10)
この世と天使が伝えた律法や預言者の言葉の間では
イエスがたとえによって語り、悟らせた(ヨハネ16:25~31)
○ イエスの御言葉と私たちの霊魂の間では
聖霊が実状を語られたが、これが真理である(ヨハネ16:7~14)
聖霊は真理の霊でおられる
○ たとえは信じるものではなく、悟るものである(マタイ13:23)
たとえを聞いて悟る者は良い地である
○ 真理は悟るものではなく、信じるものである(ヨハネ4:21~26)
聖霊はたとえではなく、実状を語られる
※ たとえを悟って目を開き、
真理を信じて従うのであれば、
神の御言葉(ロゴス)が私たちの心にとどまる

2021. 04. 18. 神の御心を行う者 (マルコの福音書3:31~35)

神の御心を行う者
(マルコの福音書3:31~35)

神は
義でおられる
その方が
定められた御心を義と信じる者は義とされる
その御心に逆らう者は不義となる
イエスはアブラハムの子孫の中に来られたが、
神の御心に従って来た方であり、(ヨハネ1:13~18)
インマヌエルの神でおられる(マタイ1:23)
同じ母から生まれた兄弟であっても、
血や肉の欲求や人の意欲によって生まれた者と
神の啓示や御心によって生まれた者は異なる
その方はアブラハムが生まれる前からおられる(ヨハネ8:58)
初めから終わりまで神とともにおられる(ヨハネ1:1~3)
私たちはこれを信じる
イエスが人間であるのか、神でおられるのかを
はっきりと告白しなければならない(ヨハネ20:31)
イエスは人でおられるが、人間ではない(マタイ22:45)
御言葉が肉体となって来た方でおられる(ヨハネ1:14)
それゆえ、
イエスは「肉体の家族であっても、(ローマ1:2~4)
私を認めてこそ、私の家族である」といわれた(マルコ3:34~35)
○ 自分の徳や良心を頼って、
イエスが誰でおられるのかを知ることができなければ、救いを得ることができない
イエスを神の御子と信じる者だけが救いを受ける
○ 宗教の良心によっては絶対に永遠のいのちを得ることができない
ただ福音を信じてその信仰を告白してこそ、永遠のいのちを得る
聖霊は信仰を告白した者に印を押して保証される
○ イエスが人間でおられたのであれば、
その死は自分ひとりのための死であったし、その方が救い主になることもなかった
その方が人として来たキリストでおられるということを信じてこそ生きる
※ 救いに至る信仰には
宗教的な良心も家族の縁も必要がない
イエスが天から来た救い主でおられるということを信じなければならない

2021. 04. 11. 聖霊に逆らってはいけない (マルコの福音書3:20~30)

聖霊に逆らってはいけない
(マルコの福音書3:20~30)

神は
生きておられる
その方が
語られたことはすべてその通りになされる
その方から遣わされた者は権勢を受けて裁きを行う(ヨハネ5:22)
生きている者と死んだ者を区別する(ヨハネ5:26~29)
イエス・キリストはこの地に来た戒めであり、(ヨハネ10:17~18)
神の御言葉でおられる(ヨハネ1:14)
その方が命じられたことはすべてこの地でその通りになされる
その方は義人と悪人を分別し、
神の子と悪魔の子を分別する
イエスがなさることは人の知恵によって判断することができない(ヨハネ8:38)
聖霊によってなさることであるために、不可能がない(使1:8)
それゆえ、
イエスの身内の者も「気が狂った」といって、(マルコ3:21)
イエスを連れ戻しに来た
律法学者は「ベルゼブルに取りつかれている」、
「悪霊のかしらによって悪霊を追い出している」といった(マルコ3:22)
イエスは「これは
聖霊に逆らう罪である」と警告された(マタイ12:31~37)
聖霊に逆らう者はこの世でも次に来る世でも赦しを受けることができない
○ 偽善の宗教人は今も
イエス・キリストを迫害し、
聖霊の力を嘲笑って罪に定める
○ 聖霊の力が現れないのは真理がないためである
真理を知れば、いくらでも自由を得る
イエスは私たちに力を与えてくださった
○ まず抑圧する者を縛り上げてこそ、霊魂を救うことができる
救いは実状であり、現実である
悪魔よりも強い者だけが悪魔を制圧する
※ 私たちが受けた力は
すでに罪に定められた、イエスの力である
イエスの力は今も昔も永遠に同じである

2021. 04. 04. イエスはよみがえられた (マルコの福音書16:1~11)

イエスはよみがえられた
(マルコの福音書16:1~11)

神の御名は
イエスである
その方が
この世の罪を負って死んで3日後に生き返られた(ルカ24:1~7)
これは真理であり、福音である
私たちが信じるもの、伝えるものは復活である
主イエスは復活の初穂となられた
よみに勝利した者はただひとり、
イエス・キリストでおられる(創22:17)
イエスという名には
その方の死と復活、いのち、永遠のいのち、恵みがある
預言者の預言は信じながら、
どうしてイエスの預言は信じないのであろうか
この世は今もそうである(ルカ24:25~27)
主イエスは生き返って
まず私たちに現れた(ルカ24:31~32)
生き返ったその方が固く閉ざされている戸を叩かれる(黙3:20)
その方が復活の初穂となられたが、(Ⅰコリント15:20)
その次は聖徒である
聖霊が私たちを生かされる(ローマ8:11)
○ 私たちの信仰にはいのちがある
それは死んだ方を信じるためではなく、
生きておられる永遠な方を信じるためである
○ 私たちがその方の聖徒となるのであれば、
よみの権勢も私たちに勝利することができない
私たちはすでに天国の鍵をもっている
○ 神の御言葉は生きている
恵みの福音は生きている
聖霊が私たちの信仰とともに永遠におられる
※ 生きておられる方を信じる私たちは死んだ者ではなく、生きている者である
イエスによって教会は生きて働くし、私たちの霊魂も生きている
私たちはイエスの証人とならなければならない