2022. 11. 27. イエスの仕えを見習う戒め (ヨハネの福音書13:12~20)

イエスの仕えを見習う戒め
(ヨハネの福音書13章12~20節)

神は
義でおられる
その方が
この世に御子を遣わされたが、御子は命じられた通りに
神の御心を現された(ヨハネ8:29)
神の御子は相続者として栄光を受けられたが、(へブル1:2)
自分を低めてこの世に来られた
父の御心に従って天で最も低い人となり、
人類の霊魂に仕えるために来られた(ピリピ2:6~8)
主は母性をもって弟子たちを教えられた(ルカ13:34)
その方は神の本体のかたちでおられたが、自分を低め、子どもを顧みるように
他の人に仕えるための模範を示された(ヨハネ13:4~5)
私たちの信仰は永遠のいのちを探すが、(ヨハネ3:16)
私たちの生活は隣人を探す(マタイ10:6~8)
しもべは主人に仕えるし、
遣わされた者は遣わした者に従う
これが主の戒めである(マルコ12:31)
主が仕えてくださらなければ、私たちは主と何の関係もなくなる
これと同じように、私たちが兄弟に仕えなければ、
兄弟と何の関係もなくなる(ヨハネ13:6~9)
神の御心は低い者に仕えることである(Ⅰペテロ5:2~3)
○ 自分を高くするのは高ぶりであり、虚栄である
神は謙遜な者を愛して高くされるし、
高ぶる者を捨てられる
○ 信仰が成長するほど、「自分を低めて
隣人を高くする」という知恵に満たされなければならない
神は謙遜な者を高くされる
○ 仕えるというまことの心はただ母性から出て来る
母性をもつ信仰人とならなければならない
謙遜は母性から出て来る
※ 教会は自分を高くするところではなく、
ガリラヤのように低めるところである
イエスはガリラヤでその働きをはじめられた

2022. 11. 20. 自分のものを愛された主の愛 (ヨハネの福音書13:1~2)

自分のものを愛された主の愛
(ヨハネの福音書13章1~2節)

神は
愛でおられる
その方が
ひとり子を愛するように、人類を愛される
その愛は変わることがない、まことの愛である(Ⅰヨハネ4:8)
神の御言葉は愛であるために、変わることがない(ダニエル6:26)
神の御名も愛であるために、変わることがない(ローマ8:35)
神の恵みも愛であるために、変わることがない(ルカ4:19)
神は永遠に変わることがない真理でおられる(へブル6:18)
その愛によって私たちの霊魂を義とするという
恵みの宣言は永遠に変わることがない
このように
神は最後まで愛されるが、(ヨハネ13:1)
悪魔から惑わしを受ければ、
神の愛がとどまるところはなくなるし、
主の弟子であっても滅びるしかない(ヨハネ6:70~71)
悪魔が与える考えは私たちを主と切り離し、自分の道に行かせ、
結局、自殺に追い込む(マタイ27:3~5)
それゆえ、聖徒であっても試みに遭うのは
自殺するようなものである(ローマ5:12)
聖霊は私たちの霊魂を守られる
○ イエスとともにいるという者であっても
悪魔から惑わしを受けて、死ぬ
堕落して、真理を信じることができなくなる
○ 主の愛を受ける者であっても
悪魔が与える考えを入れられれば、
結局、自分の義を立てて自殺する
○ 聖霊を排除して自ら生きようとしてはいけない
神から与えられた恵みを無視すれば、
自分の霊魂を救うことができない
※ 神の御言葉は真理である
聖霊は真理でおられるし、イエスは真理でおられる
真理によって悪魔に敵対しよう

2022. 11. 13. イエスの御言葉が終わりの日に裁く (ヨハネの福音書12:44~50)

イエスの御言葉が終わりの日に裁く
(ヨハネの福音書12章44~50節)

神は
霊でおられる
その方を見た者はいない
御子だけがその方を見た
御子は
神の本体でおられる(ピリピ2:6)
その方は天の光としてこの世に来られた(ヨハネ12:46)
光はいのちである(ヨハネ1:4)
いのちは御言葉である(ヨハネ6:63)
その方が来られたのはこの世を救うためであった(ヨハネ12:47)
イエスの御言葉を聞きながらも守らない者を裁くのは
その方ではなく、
その方が語られた御言葉である(ヨハネ12:48)
その御言葉はイエスが自ら語られたものではなく、
父なる神が語られたものである(ヨハネ12:49)
イエスの御言葉、働き、力、体は
神の御言葉である(ヨハネ14:10~11)
それゆえ、イエスを拒むことはできない
これはいのちを拒むということ、
神と永遠のいのちを拒むということである(ヨハネ8:47)
神の命令が永遠のいのちである(ヨハネ12:50)
○ 御言葉に逆らう者は罪に定められる
聖霊が証しする御言葉は真理、すなわち
イエス・キリストである
○ イエス・キリストを信じるというのは
その方を遣わした神を信じるということである
神を信じるのが永遠のいのちである
○ 御言葉は私たちの目の前にあるし、さらに近くにある
御言葉を信じて従うというのは神を信じるということである
それによって永遠のいのちを得る
※ 御言葉を信じれば、真理が見える
真理が見えれば、聖霊が見えるし、聖霊が見えれば、イエス・キリストが見える
その方はよみがえりであり、いのちでおられる

2022. 11. 06. 信仰を現しなさい (ヨハネの福音書12:37~43)

信仰を現しなさい
(ヨハネの福音書12章37~43節)

神は
聖なる霊でおられる
その方が
人間が見ることができない自分を(ヨハネ1:18)
見せるために、天の天使よりも劣った人として
この世に現れた(ヨハネ1:49~50)
みすぼらしい大工の家に生まれ、
名も知られていないナザレで育ち、(ヨハネ1:46)
人の弱さと病気を知る体をもち、(イザヤ53:1~3)
むち打たれ、十字架の呪いを味わわれた
どのような恥ずかしさも気に留められなかった(Ⅰペテロ2:24)
そして、
自分の血と肉を裂いて与えられたが、
これが私たちに施された恵みであった(Ⅰコリント23~26)
その方は天の光として来られたが、この世は霊の眼が遠くて、|
その方を見ることができなかった(ヨハネ8:42~44)
その方は最善を尽くして、神の力をもって人に仕えた(マルコ1:38~39)
しかし、
このような大きな恵みを受けたとしても、
その恵みを現さないで隠す
これは栄光を神に帰そうとしない不従順である(ヨハネ12:42~43)
○ 自分が信じるものを現せば、迫害を受けるのではないか
自分が恵みを受けたということを語れば、罪に定められるのではないか
自分が救いを受けたということを語れば、殺されるのではないか
○ 神は高い所から低いこの地に来られた
どうしてこれを万民の前で証しすることができないのか?
神に背を向ける者について語られた預言が成就する
○ イエスの名によってバプテスマを受けたのであれば、イエスとひとつである
主が死ねば、ともに死ぬし、主が生きれば、ともに生きる
これが救いを得る信仰であり、永遠のいのちである|
※ イエスを恥ずかしく考えてはいけない
イエスのために死ぬことを恐れてはいけない
自分の中におられる方を証しして現そう