2023. 01. 29. 体でよみがえられた主、体で愛した弟子たち (ヨハネの福音書20:1~10)

体でよみがえられた主、体で愛した弟子たち
(ヨハネの福音書20章1~10節)

神は
自分が定めた御心をなされる
その方は
神を知る者がこの世に存在する前に、
永遠の前から定められていた御心をなされた(Ⅱペテロ3:2)
また、神を知る人類がこの世に存在するようになったのちには、
御心を予め語られた(Ⅱコリント2:7)
御言葉を語る前には何もなさらなかった(ヨハネ10:35)
それゆえ、御言葉は私たちが信じることについての知識の初めである(箴1:7)
どんなに大きなしるしや力を行ったとしても、聖書で予め
語られていないのであれば、私たちと何の関係もない(エペソ5:6~7)
救い主が来られる前に預言者が来て、(マラキ4:5~6)
主の道をまっすぐにするように預言をもって道を備えた(ヨハネ1:23)
それゆえ、
来るべき方がその方であるのかを確認する方法は
まず聖書に記録されているのかということであり、(ミカ5:2)
次に聖書と一致しているのかということである
イエス・キリストは自ら来られたのではない
預言は
神が永遠の前に定められた御心を語った(詩16:10~11)
イエスは聖書に記録された通りに死んだのちに生き返られた(ヨハネ20:9)
○ それゆえ、聖書を廃棄することはできない
御言葉を信じる者は神々と呼ばれる
信じる者は聖書から大きな霊感を得る
○ 死んだ者が生き返ったのは不思議なことではない
聖書が成就したということを知って驚かなければならない
神の御心は必ずなされる
○ 聖書を信じるのであれば、キリストのよみがえりを信じなければならない
キリストのよみがえりを待って歓迎しなければならない
イエスが律法と預言をすべて成就された
※ 正常な信仰はまず聖書に還る
そして、信じるところが聖書と一致しているのかを見る
聖霊によって私たちの中で証しを受ける

 

2023. 01. 22. 救いの死で預言を成就される (ヨハネの福音書19:31~37)

救いの死で預言を成就される
(ヨハネの福音書19章31~37節)

神は
完全でおられる
その方が
語られる御言葉は完全であり、すべてなされる(ヨハネ1:1~2)
神の御言葉は神の御心である(ヨハネ6:39)|
その御心は必ずすべてなされる(へブル4:12~13)
神は誰も見ることができないし、(ヨハネ1:18)
イエスも天に行くことによって見ることができなくなった(ヨハネ16:16~17)
聖霊も私たちの中に入って来られたが、見ることができない(ヨハネ14:16~17)
しかし、父と御子がともにする御言葉は(ヨハネ1:1)
聖霊もともにするために、真理である(ヨハネ16:13)
真理は必ずすべてなされる
神は自分の御心を真理として語られるし、
御言葉によって来た方はそれをすべてなされた(ヨハネ19:30)
聖霊はこれを証しされる(ヨハネ16:14、15:26)
御言葉によって万有が造られたということを信じるのが私たちの信仰である
天地を創造するときもただ御言葉によって
すべてがなされた(創2:1)
神の御言葉は天で定められ、
この地ですべてなされた(マタイ6:10)
イエスは天に行かれたが、御言葉はこの世に残って、
聖霊によってすべてなされる(マタイ28:20、マルコ16:20)
○ イエスが十字架の上で「完了した」といって死なれたが、
それによって聖書が成就された
○ イエスが死なれたのちに、兵士たちはすねを折らなかった
それによって聖書が成就された(出12:46)
神の御言葉はすべてなされる
○ 「神が語られた御言葉は御子によってなされたし、
聖霊によって続けてなされる」という信仰をもって生きる
なされるのを信じることによって望みをもつ
※ それゆえ、神の御言葉の書によって
主がなさることと神の御心を確認し、
聖霊がなさることを信じなければならない

2023. 01. 15. 弟子たちが聖められるように願い求められる (ヨハネの福音書17:15~26)

弟子たちが聖められるように願い求められる
(ヨハネの福音書17章15~26節)

神は
聖なるひとりの方でおられる
その方が
御子をこの世に現されたが、(ヨハネ1:18)
御子は「父と私はひとつである」と主張された(ヨハネ10:30)
「父は私の中におられるし、私も父の中にいる」ということを
真理として伝えられた(ヨハネ14:10)
御子は父に遣わされて、この世に来られた(ヨハネ14:11~12)
父が命じられた御言葉だけを語られた(ヨハネ12:49)
父が命じられた働きだけをなさった
父が御子を愛されたように、(ヨハネ15:9)
御子もこの世を愛された
このように父と御子は別々ではなく、ひとつである
イエスが父を排除してひとりでいるということは絶対にない
父と御子がひとつであるというのが真理である
父が聖いように、御子も聖いし、
御子が聖いように、その中にいる者も聖い
御子も「真理によって聖めてください」といわれた(ヨハネ17:17~19)
父が御子をこの世に遣わされたということを知るのが
永遠のいのちである(ヨハネ6:38~40)
唯一の父の中ですべてがひとつとなる(ヨハネ17:11)
○ イエスが真理について語られた
父と御子がひとつであるというのが真理である
それゆえ、「真理によって聖めてください」といわれた
○ 「私が父によって聖いように、
私の中にいる者も父と私の中にあって
同じように聖めてください」といわれた
○ 聖さは父のものである
御子が父に属して聖いように、
この世にいるイエスのものも聖い
※ このようなイエスの主張は真理である
真理を悟り、真理によって聖くなり、
御子が父の喜びであるように、真理によってひとつとならなければならない

2023. 01. 08. 従順で神の栄光を現わされるイエス (ヨハネの福音書17:1~8)

従順で神の栄光を現わされるイエス
(ヨハネの福音書17章1~8節)

神は
父でおられる
その方が
愛する御子をこの世に遣わされた(ヨハネ7:28)
これはそれくらいこの世を愛されたためである(ヨハネ3:16)
父は御子を愛されるし、(マタイ17:5)
御子は父を愛される
父は神の御子によって救いを受けた者を
愛される(Ⅰヨハネ4:9)
御子のものを御子と同じように愛される(ヨハネ17:10)
私たちが永遠のいのちを得るためには
父と御子の関係を知って信じなければならない(ヨハネ17:3)|
父と御子の関係は愛である(Ⅰヨハネ4:8)
それゆえ、父なる神と御子がひとつであるということを信じなければならない(ヨハネ10:30)
父を愛するといいながらも(ヨハネ5:23)
御子を敬わない者は父を愛さない者であるし、(マルコ7:11)
御子を愛するといいながらも
父を敬わない者は御子を愛さない者である
父の御心は御子の御心であるし、(ヨハネ6:39~40)
御子の御心は父の御心である
聖霊は父と御子の間から出て来られる(ヨハネ15:26)
○ イエスが「私は私を遣わした方の子である」といわれたのは
父と同じように御子を信じさせるためである
御子を信じるように父を信じなければならない
○ 聖霊は御子を証しするように父も証しされる
御子と父が等しいということを証しされる
聖霊の証しが真理である
○ この真理を信じるのが永遠のいのちである
父と御子を信じるように
聖霊を信じなければならない
※ 聖霊に逆らえば、三位一体に逆らう
その罪が軽いということはできない
この世でも次に来る世でも赦しを受けることができないために、聖霊に逆らうのは恐ろしいことである

2023. 01. 01. 時がくれば、はっきりと告げる (ヨハネの福音書16:25~33)

時がくれば、はっきりと告げる
(ヨハネの福音書16章25~33節)

神は
唯一でおられる
その方が
御子を遣わし、御子によってこの世を救われた(ヨハネ6:39)
御子は自分の御心によってこの地に来られたのではなく、
父から遣わされて、この地に来られた(ヨハネ5:30)
「私たちが何をすれば、
神の愛を受けることができるのか」と尋ねられたのであれば、(マルコ10:17)
「イエス・キリストが
父から来た者であるということを信じることによって、
父から愛を受けることができる」と(ヨハネ16:27)
いつでも答えることができなければならない(Ⅰペテロ3:15)
私たちは永遠のいのちを得るために聖書を調べ、(ヨハネ5:39)
バプテスマを受け、教会に通うが、(へブル6:1~2)
イエスは「永遠のいのちは
まことの神とその方が遣わされたイエス・キリストを
知ることである」といわれた(ヨハネ17:3)
イエスは「私は父から出て来て、この世に来た
もう一度、この世を去って、父に行く」といわれた(ヨハネ16:28)
これを信じているのかといわれた
熱心さを信仰と考える誤解を解かなければならない
○ 人が病気にかかるのは正常ではないためである
それと同じように、信仰が正常でなければ、試みに遭う
悪魔、人、天使から嘲笑を受ける
○ 無意味に「信じます、信じます」と告白するのは
信仰ではなく、信念であり、迷信である
聖霊によって与えられる、はっきりとした信仰をもとう
○ 聖霊は
神とその方が遣わされた御子を証しする、
真理の霊でおられる
※ 信仰は真理に対するものでなければならない
聖霊によって父と御子を知る
真理は道であり、いのちである