2023. 02. 12. ヨセフの義が負った責任 (マタイの福音書1:18~25)

ヨセフの義が負った責任
(マタイの福音書1章18~25節)

神は
誰も見ることができない
その方は
霊でおられるし、霊によって臨み、霊によって語られた(ヨハネ6:63)
神の御言葉は霊である
私たちを探し求める方も霊でおられる(ヨハネ4:23~24)
私たちは目で見て信じるのではない(ヨハネ20:29)
霊によって信じて従う(Ⅰコリント12:1~3)
ヨセフにキリストの受胎が伝えられた
ヨセフはそれを信じて最後まで従った(マタイ1:23~25)
このような決心はどんなにむずかしいものであっただろうか(マタイ1:19)
ヨセフは疑いや不義に押し流されないで、
神の御心を信じて従った(創15:6)
これが信仰である
その信仰によって人の考えや常識を超越し、(ローマ8:5~7)
神の御心を最も大きなものと考える(マタイ26:39)
現実や感情によってはむずかしいが、
神の御心に従わなければならない(マタイ9:1~8)
神の御言葉は御子を現した(ヨハネ3:16)
御子は自分の血をもって語られた(ヨハネ6:53~55)
聖霊はこれを証しされる(ヨハネ16:13~14)
◎ 神の御言葉と人の考えを比べてはいけない
神の御心は人の理性と異なる
それでも疑わないのが永遠のいのちを得る信仰である
◎ ヨセフのようにそれぞれが負わなければならない責任は
神の御心に対する信仰によって負う
人間の感情に合わなかったとしても、信じなければならない
◎ 信仰を助けるために保証として
聖霊が与えられた
ただ聖霊によって信仰をもたなければならない
※ 信じる者はまず自分を十字架につけなければならない
自分にだけ命じられた働きであっても服従しなければならない
納得がいかないと考えないで、信じて従わなければならない