엔트리 Berea Japan

2022. 06. 19. 信仰を伝えなさい (ヨハネの福音書4:35~42)

信仰を伝えなさい (ヨハネの福音書4:35~42) 神は 父でおられる その方は 愛と喜びによって栄光を受けられる(マタイ3:17) その方は御子を極めて愛されたし、 御子が従うことによって喜ばれる(ヨハネ17:1) 真理は 種をまくこととそれを刈り取ることを意味する(ヨハネ1:14~16) イエスはその働きを通して天国の種をまかれた 私たちはイエスがまいた種を刈り取る者である(ヨハネ4:35~40) 働き手はすでに永遠のいのちを得て、権勢も得た(マタイ28:18~20) それゆえ、 働き手となった聖徒は主の愛を受けたし、 主を喜ばせる(ヨハネ15:11~14) 種をまく方が天から来た自分を伝えられた この知らせを聞いて信じさえすれば、救いを得る(ローマ10:17) 福音を聞いて信じるのがまことの信仰である その信仰は強いために、奪い取る者がいない(マタイ16:16) 神もこの信仰を強くするために 聖霊を注がれた(ヨハネ20:21~23) 聖霊によってもつ、強い信仰が復活に至らせる(ローマ8:11) ○ 信仰は聞くことからはじまる 聞くことは伝える者がいてこそなされる 福音は愛によって伝え、喜びによって刈り取る ○ 私たちは福音を伝えて霊魂を導く それによって神が栄光を受けられる 神はその人を愛して喜ばれる ○ 教会は愛をもって伝道し、 喜びをもって救いを受ける霊魂を迎え入れる この2つが調和をなさなければ、栄光はない ※ 信仰をもつように福音を伝えよう 愛をもって熱心に種をまこう 喜びをもって刈り取るように霊魂を生かそう

2022. 06. 12. 永遠のいのちの水を飲みなさい (ヨハネの福音書4:9~26)

永遠のいのちの水を飲みなさい (ヨハネの福音書4:9~26) 神は 永遠のいのちでおられる その方がこの世に、 永遠に生きる水を与えられた それはイエス・キリストであり、その方の御言葉である(Ⅰコリント10:1~4) この世が与える水は肉体に入って行くが、再び渇く 神が与えられるいのちの水は霊に入って行き、永遠のいのちとなる(ヨハネ6:48~51) 水は渇く者に必要である 永遠のいのちに対する渇きがある者が永遠のいのちの水を飲む イエス・キリストの御言葉は霊であり、いのちである(ヨハネ4:12~14) それゆえ、 弟子たちは「永遠のいのちの言葉を残して、誰のところに行きましょう」といい、 イエスの御言葉から離れないと告白した(ヨハネ6:68) 律法と預言者の預言は廃れるために、(マタイ11:13) 永遠のいのちの御言葉ではない イエスの御言葉だけが永遠に生きる御言葉である(ヨハネ6:63) それゆえ、 神は「イエスの言葉を聞きなさい」という戒めを与えられたし、(マタイ17:5) イエスは「私の言葉を信じなさい」という戒めを与えられた(ヨハネ4:21) イエスを愛する者はイエスの戒めを守るし、イエスも聖霊を与えられる 聖霊は助け主でおられる(ヨハネ14:15~16) 永遠に渇くことがない真理を知らせる(ヨハネ14:26) ○ 神は霊でおられるために、 礼拝する者は霊によって礼拝しなければならない 神は霊によって礼拝する者を求められる ○ 聖霊と真理によって礼拝する者にはいのちがある これは御子をこの世に与えられた神の御心である ○ 再びシナイ山やエルサレムを探さないで、 イエス・キリストを信じて従いなさい イエスは永遠に生きるいのちの水であり、救いを与える真理である ※ イエスを信じるまことの信仰をもとう イエスがなさる働きとイエスが語る御言葉が真理である 真理があるまことの礼拝をささげよう

2022. 06. 05. 信じる者には永遠のいのちがある (ヨハネの福音書3:16~21)

信じる者には永遠のいのちがある (ヨハネの福音書3:16~21) 神は 永遠に存在する方でおられる その方が この世を創造して自分を知らせ、 信仰を与えられたが、この信仰が真理である(へブル11:1~3) その方は天から出た者と地から出た者を区分された 天から出た者は真理を聞いて語る(ローマ9:6~8) 地から出た者はこの世に属する言葉を聞いて語る(Ⅰヨハネ4:5~6) これによって真理の霊と惑わしの霊を分別する イエスは天から来た方でおられるし、真理でおられる(ヨハネ14:6) その方の御言葉も真理である(ヨハネ8:45) その方は天で見て聞いたことを語られた(ヨハネ8:38) それゆえ、 イエスの御言葉は 神の御言葉である(ヨハネ12:48~49) 神が聖霊を限りなく注がれる(使10:38) 父が御子を愛して、御子に万物を与えられた 御子を信じる者には永遠のいのちがある 御子に従わない者は神の怒りがその上にとどまる(ヨハネ3:17~18) 私たちの信仰にも 聖霊の証しがある(ヨハネ15:26~27) ○ 宗教には自分の義だけがあって、 神の義がない 神の義がない者は裁きを受ける ○ 神から与えられた信仰が義となる 信じる者は義とされる 聖霊は印を押して、これを保証された ○ 自分が天に属しているのかを試してみなさい 天に属する者は真理を語って従う この世に属する者はこの世の言葉を聞いて語る ※ 信仰はこの世の知恵ではなく、 神から与えられた知恵であり、賜物である 信仰をもとう、永遠のいのちの信仰をもとう

2022. 05. 29. 永遠のいのちを得る信仰(ヨハネの福音書3:16~21)

\ 永遠のいのちを得る信仰 (ヨハネの福音書3:16~21) 神は 唯一の父でおられる その方は 義であるために、正義をもって判断される(詩89:14) 神がこの世にひとり子を遣わされたのは 神の義を見せるためであった ひとり子を信じる者は永遠のいのちを得たし、(ヨハネ3:16) ひとり子を信じない者はすでに裁きを受けた(ヨハネ3:18) 神の義は光として現れた イエス・キリストは光として来られた(ヨハネ8:12) それゆえ、 信じる者は光に出て来るし、 信じない者は光を憎んで嫌う(ヨハネ3:19~21) 神の光は栄光であり、天の光である(ヨハネ1:14) 暗やみはこの世であり、死の影である(ローマ5:12~14) それゆえ、 私たちが受けたバプテスマは私たちを暗やみから栄光に移すものであり、 霊魂を死からいのちに移すものである(ローマ6:1~7) よみの暗やみはすでに裁きを受けた 天から追い出された悪魔は刑罰の日まで そこに閉じ込められる(ユダ1:6) ○ 神がこの世を愛されたのは私たちを すでに裁きを受けたよみから天に移して、 裁きを受ける者が受ける刑罰から救うためであった ○ このためにひとり子を犠牲にして血を流させ、罪を贖った この尊い血は天の栄光であり、 ひとり子の栄光であり、恵みと真理に満ちている ○ 光を愛するのであれば、永遠のいのちを得る 光を嫌うのであれば、すでに裁きを受けたし、 その霊魂の前には地獄に行く道だけが置かれている ※ 永遠のいのちを得なさい そのためにイエスを信じなさい これによって栄光の光に入って行く

2022. 05. 22. 何を信仰というのか (ヨハネの福音書3:11~15)

何を信仰というのか (ヨハネの福音書3:11~15) 神は まことでおられる その方が この世に現された御言葉はまことであり、真理である(ヨハネ14:6) 真理は人の知恵や常識をいうのではなく、 神だけが語ることができる御言葉をいう(ヨハネ8:45~47) 神を見た者はいない どのようにして神を見て信じることができるであろうか イエスだけが神を見たし、その方だけが知るのが御言葉である(ヨハネ3:13) この地にある道理を使ってたとえをもって語ったとしても信じないのに、 どうして天の真理を信じることができるであろうか(ヨハネ3:12) それゆえ、 信仰は見たり触ったりして知るものではない(ヨハネ20:29) 語られた方を認め、権威を認めてこそ、(マタイ16:16~17) 信仰という正解が出て来る モーセが荒野で青銅の蛇を木の上につけたのが(民21:8~9) どうして救いとなるであろうか これはたとえである(へブル9:9~10) これが「呪いを受けた罪が木で死んでこそ救いを得る」という 信仰となる(ガラテヤ5:24) 十字架でのイエスの死によって私たちの罪が死んだ ○ 根拠なしにただ自分の信念によって 「信じます」というのは迷信である 神が定められた御心通りになされるのが救いである ○ 神が天でなされた御心を、どのようにしてたとえをもって語ることができるであろうか モーセを通して荒野でなされた御心を、どのようにしてたとえをもって語ることができるであろうか 信仰によってだけその真理を悟る ○ 私たちが救いを受ける信仰は 神が天で確定したことを土台とするものであり、 それを神がなさる働きとして信じるものである ※ 神がなさる働きを人の知恵によって知ろうとしてはいけない 神がなさる働きが真理である 私たちの霊魂はその真理によってだけ救いを得る

2022. 05. 15. 信仰は証しである (ヨハネの福音書2:23~25)

信仰は証しである (ヨハネの福音書2:23~25) 神は 生きておられる その方が この世に御言葉を与えられたのは信仰を与えるためであった(へブル11:1~3) 信仰は人の信念ではなく、はっきりとした証しである(Ⅱコリント13:5) イエスが現されたしるしによって、その名が広まった その名を知る者は多かった(マルコ1:28) しかし、 救いに至る信仰は うわさによってはもつことができない その名を信じて迎え入れた者だけが救いを得る(ヨハネ1:12) 信仰の証しとは イエスを自分の主人として迎え入れることである(ヨハネ6:68) しかし、 イエスには自分を預ける者がいなかった 人々には自分を迎え入れる信仰がないということを主は知っておられた(へブル11:6) 信仰がない者が「主よ、主よ」というのは(マタイ6:5) 迷信を信じる者が唱える呪文のようなものである(マタイ6:7) 信仰がない者は主を喜ばせることができない ただイエスの名にひざまずいて従わなければならない(ピリピ2:10~11) このような人に証しがある 神は印を押して、保証として 聖霊を心に与えられた(Ⅱコリント1:20~22) ○ 聖霊は私たちが 神の子であるということを証しされる ○ 神が求められる証しは信仰告白である 信仰告白がない者からは何の証しも受けられない ○ イエスの名をうわさによって聞いて知るのではなく、 完全に心を開いて迎え入れなさい 自分の心に主がおられるということを試して確証しなさい ※ 神がこの世に御言葉を与えられたのは 御言葉に従って自分の信仰を確証させるためであった キリストが自分の主人でおられるということを証ししなければならない

2022. 05. 08. 完全な信仰 (ヨハネの福音書2:1~11)

完全な信仰 (ヨハネの福音書2:1~11) 神は 良い方でおられる その方が この世に恵みを施された 神の良さ、喜び、完全さによって(ローマ12:1~2) 救いを得させた(ローマ10:13~15) イエスはアブラハムとダビデの子孫であり、 ナザレ人であり、母に仕えた(ヨハネ2:1) イエスは良い働きの第一歩をカナの婚礼で 母の要請によって現された(ヨハネ2:3~5) その方は自分がこの世に来た御心をなす前に、 一般的なしるしを現すことによって自分を現された まだ自分の時ではなかったが、(ヨハネ2:4、17:1) 母のために、また、ともにいた弟子たちのために現された 弟子たちは主が現されたしるしを見て、その方を信じた(ヨハネ2:11) しかし、 しるしを見て信じる信仰は初歩的なものである それゆえ、成長した信仰に至らなければならない(へブル5:12~14) 成長した信仰は御言葉を聞いて信じる信仰である 信仰は聞くことからはじまり、聞くことは 神の口から出て来た御言葉による(ローマ10:17) ○ しるしを見て信じる信仰には祝福がない 見ないで聞くことによって信じる信仰に祝福がある 主イエスの御言葉を信じなければならない ○ 主イエスの御言葉は聖霊によって証しを受ける 聖霊は真理の霊でおられる 真理は私たちの霊魂を生かす信仰となる ○ イエスが来られたのは霊魂を救うためであった 一般的なしるしは霊魂の救いのためのものではない かたくなな者のための良い働きである ※ 神は罪人が救いを受け、神に出て来ることを喜ばれる これがその方が受けられる栄光である イエスの血の恵みを肉体のために使わないで、霊魂のために使おう

2022. 05. 01. 神の御子を信じなさい (ヨハネの福音書1:43~51)

神の御子を信じなさい (ヨハネの福音書1:43~51) 神は 三位一体でおられる その方が 愛する御子をこの世に遣わされた(ヨハネ3:16) これはこの世に御子を信じさせ、救いを得させるためであった 御子を信じる者はその方が 神の御子、キリストでおられるということを信じなければならない(ヨハネ17:3) この世の人々は イエスをナザレ人、大工の息子と知る(マタイ13:55) その方は確かにアブラハムとダビデの子孫でおられるが、(マタイ1:1~16) 人々はその方を人の子孫と知るために、 救いに至ることができない(マルコ3:21) 救いは 神から与えられた信仰によってなされる(マタイ16:16~17) 神から与えられた信仰は イエスがキリストでおられるということを信じるものである(ヨハネ17:8) 「メシヤ」とは へブル人が待ち望んだ、へブル人の救い主という意味である 「キリスト」とは 全人類が待ち望んだ、人類の贖い主という意味である(ヨハネ4:25) いちじくの木はイスラエルの国樹であるが、 その下にいるというのは律法の預言の下にいるという意味である(ヨハネ1:50) ○ 人の常識や知恵によって信じようとしないで、 主イエスの御言葉を信じ、 自分が罪人であるということを悟りなさい ○ イエスは人類の霊魂を救うために来た、 キリストでおられる これは神から遣わされた者という意味である ○ 救いは 神から出て来るし、恵みによって受ける ※ イエスは私たちの霊魂を罪から救われる 復活を味わわせ、永遠のいのちを得させる イエスが神の御子でおられるということを信じなければならない

2022. 04. 24. イエスの名を信じなさい (ヨハネの福音書 1:1~13)

イエスの名を信じなさい (ヨハネの福音書1:1~13) 神は 永遠の前からおられる その方の 御言葉も永遠の前から 神とともにあったために、 神でおられる(ヨハネ1:1) 万物は御言葉によって造られた(へブル11:3) その御言葉はいのちである(ヨハネ6:63) いのちはこの世の光である(ヨハネ8:12) その光の名はイエスであり、 この世を死から救う名である(マタイ1:21) それゆえ、 イエスの名を信じて心に迎え入れれば、(ヨハネ1:12) 神の子となる権勢が与えられる(ローマ8:16~17) その人は血や人の欲によって生まれたのではなく、 神の御心によって生まれたのである(ヨハネ6:38~40) 神はその人に印を押し、保証として 心に聖霊を与えられる(Ⅱコリント1:21~22) 聖霊は助け主でおられるし、助け主はキリストの霊である(ヨハネ14:16) キリストは主の職分であり、死と復活と裁きである(ヨハネ10:17~18) 聖霊はその功労に従って働かれる(ヨハネ15:26) ○ 神を信じる者はその御子も信じる その方は御言葉として現れた 御言葉は神の御心である ○ 神の御言葉の名はイエスである その名を迎え入れるというのは 神の御心を心に迎え入れるということである ○ 御言葉はいのちの光であり、 霊魂、関節、骨髄まで照らす その光は栄光であり、癒しの光である ※ 私たちが信じるのはその名である その名は神が天でなされた御心そのものである 信仰をもつというのは救いを受けるということである

2022. 04. 17. 信じる者にしるしが伴う (マルコの福音書16:17~20)

信じる者にしるしが伴う (マルコの福音書16:17~20) 神は 生きておられる その方が 自分が生きているということをさまざまな方法によって知らせた(へブル1:1) 神は全能な方でおられるし、陶器を作る者のようである(ローマ9:21) この世を創造し、(創1:1) 人を生きた霊とされた(創2:7) 箱舟によって8人を救い、(Ⅰペテロ3:20) モーセを通してイスラエルを出エジプトさせ、(出7:1~2) ヨシュアを通して戦争に勝利させ、(ヨシュア1:1~6) エリヤを通して雨を止ませ、 3年6ヶ月ぶりに雨を降らせた(Ⅰ列18:41~46) そして、直接、ユダヤの地に生まれ、(マタイ2:1~2) 神とその国を見せ、(ヨハネ14:8~11) 死んだのちによみがえり、(使2:31~32) 聖霊を遣わして、自分が生きているということを証しし、(使1:8) 信じる者に証しのしるしを与えられた それゆえ、 信じる者にはしるしが伴う(マルコ16:17) 弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた 主は彼らとともに働き、 御言葉に伴うしるしをもって 御言葉を確かなものとされた(マルコ16:19~20) ○ 軍人が銃によって武装するように、 信じる者には力としるしが伴う ○ 神の国は言葉ではなく、 力によって語られなければならない ○ 神の国が私たちに臨んだのであれば、 悪霊は当然に離れて行く 力がないというのは誇ることではなく、悲しむことである ※ 聖霊を受けよう そして、力を受けよう 聖霊の現れが与えられるのは益となるためである