王を迎えるために心を変えなさい (マタイの福音書3章1~12節) 神は まことでおられる その方が 罪を犯した人類を救うために恵みを与えられたし、 まず「悔い改めなさい」といわれた(ゼカリヤ13:1~2) バプテスマのヨハネは悔い改めるためのバプテスマを施して、 「悔い改めなさい」と叫んだ(マタイ3:11) これは「神を正しく知りなさい」という意味であった(マタイ3:7~9) 律法に縛られて望みをもつことができなかった者に(ガラテヤ3:18~19) 「神に対する誤解を改めなさい」といったのである 悔い改めはただ「私は罪人です」と いえばいいものではない(ガラテヤ3:23~25) どうして罪人であるのかを悟らなければならない(詩51:1~5) 自分の良心に呵責を感じさせるものは汚れである 神に犯した罪は不信仰である(詩51:16~17) 神の戒めに対する不信仰であり、(ヨハネ12:47~50) 神の愛に対する不信仰である 神がしなさいといわれるのは私たちにいのちを与えるためであるし、(マタイ17:5) してはいけないといわれるのは私たちを守るためである(創2:16~17) バプテスマのヨハネは律法の下にいるユダヤ人に「悔い改めなさい」といった これは「律法によっては救いを得ることができないということを知りなさい」といったのである(ローマ5:20~21) ◎ バプテスマのヨハネは悔い改めなさいといったが、 これは「律法の下にいる者は罪人であるということを認めなさい、 私が与えるバプテスマは罪を加えるものである」という意味であった ◎ イエスは律法の下にいる者を救うために来られた 律法の下にいる者はすべて罪人である 義人はひとりもいない ◎ イエスは罪人の罪をすべて負って十字架で死ぬことによって 律法を完成されたし、 よみがえることによって死に勝利された(ガラテヤ3:27) ※ これが私たちの信仰であるし、私たちはその信仰をバプテスマによって証しする イエスは自分の名でバプテスマを授けることによって 律法、死の権勢から私たちを救われた