엔트리 Berea Japan

2023. 01. 22. 救いの死で預言を成就される (ヨハネの福音書19:31~37)

救いの死で預言を成就される (ヨハネの福音書19章31~37節) 神は 完全でおられる その方が 語られる御言葉は完全であり、すべてなされる(ヨハネ1:1~2) 神の御言葉は神の御心である(ヨハネ6:39)| その御心は必ずすべてなされる(へブル4:12~13) 神は誰も見ることができないし、(ヨハネ1:18) イエスも天に行くことによって見ることができなくなった(ヨハネ16:16~17) 聖霊も私たちの中に入って来られたが、見ることができない(ヨハネ14:16~17) しかし、父と御子がともにする御言葉は(ヨハネ1:1) 聖霊もともにするために、真理である(ヨハネ16:13) 真理は必ずすべてなされる 神は自分の御心を真理として語られるし、 御言葉によって来た方はそれをすべてなされた(ヨハネ19:30) 聖霊はこれを証しされる(ヨハネ16:14、15:26) 御言葉によって万有が造られたということを信じるのが私たちの信仰である 天地を創造するときもただ御言葉によって すべてがなされた(創2:1) 神の御言葉は天で定められ、 この地ですべてなされた(マタイ6:10) イエスは天に行かれたが、御言葉はこの世に残って、 聖霊によってすべてなされる(マタイ28:20、マルコ16:20) ○ イエスが十字架の上で「完了した」といって死なれたが、 それによって聖書が成就された ○ イエスが死なれたのちに、兵士たちはすねを折らなかった それによって聖書が成就された(出12:46) 神の御言葉はすべてなされる ○ 「神が語られた御言葉は御子によってなされたし、 聖霊によって続けてなされる」という信仰をもって生きる なされるのを信じることによって望みをもつ ※ それゆえ、神の御言葉の書によって 主がなさることと神の御心を確認し、 聖霊がなさることを信じなければならない

2023. 01. 15. 弟子たちが聖められるように願い求められる (ヨハネの福音書17:15~26)

弟子たちが聖められるように願い求められる (ヨハネの福音書17章15~26節) 神は 聖なるひとりの方でおられる その方が 御子をこの世に現されたが、(ヨハネ1:18) 御子は「父と私はひとつである」と主張された(ヨハネ10:30) 「父は私の中におられるし、私も父の中にいる」ということを 真理として伝えられた(ヨハネ14:10) 御子は父に遣わされて、この世に来られた(ヨハネ14:11~12) 父が命じられた御言葉だけを語られた(ヨハネ12:49) 父が命じられた働きだけをなさった 父が御子を愛されたように、(ヨハネ15:9) 御子もこの世を愛された このように父と御子は別々ではなく、ひとつである イエスが父を排除してひとりでいるということは絶対にない 父と御子がひとつであるというのが真理である 父が聖いように、御子も聖いし、 御子が聖いように、その中にいる者も聖い 御子も「真理によって聖めてください」といわれた(ヨハネ17:17~19) 父が御子をこの世に遣わされたということを知るのが 永遠のいのちである(ヨハネ6:38~40) 唯一の父の中ですべてがひとつとなる(ヨハネ17:11) ○ イエスが真理について語られた 父と御子がひとつであるというのが真理である それゆえ、「真理によって聖めてください」といわれた ○ 「私が父によって聖いように、 私の中にいる者も父と私の中にあって 同じように聖めてください」といわれた ○ 聖さは父のものである 御子が父に属して聖いように、 この世にいるイエスのものも聖い ※ このようなイエスの主張は真理である 真理を悟り、真理によって聖くなり、 御子が父の喜びであるように、真理によってひとつとならなければならない

2023. 01. 08. 従順で神の栄光を現わされるイエス (ヨハネの福音書17:1~8)

従順で神の栄光を現わされるイエス (ヨハネの福音書17章1~8節) 神は 父でおられる その方が 愛する御子をこの世に遣わされた(ヨハネ7:28) これはそれくらいこの世を愛されたためである(ヨハネ3:16) 父は御子を愛されるし、(マタイ17:5) 御子は父を愛される 父は神の御子によって救いを受けた者を 愛される(Ⅰヨハネ4:9) 御子のものを御子と同じように愛される(ヨハネ17:10) 私たちが永遠のいのちを得るためには 父と御子の関係を知って信じなければならない(ヨハネ17:3)| 父と御子の関係は愛である(Ⅰヨハネ4:8) それゆえ、父なる神と御子がひとつであるということを信じなければならない(ヨハネ10:30) 父を愛するといいながらも(ヨハネ5:23) 御子を敬わない者は父を愛さない者であるし、(マルコ7:11) 御子を愛するといいながらも 父を敬わない者は御子を愛さない者である 父の御心は御子の御心であるし、(ヨハネ6:39~40) 御子の御心は父の御心である 聖霊は父と御子の間から出て来られる(ヨハネ15:26) ○ イエスが「私は私を遣わした方の子である」といわれたのは 父と同じように御子を信じさせるためである 御子を信じるように父を信じなければならない ○ 聖霊は御子を証しするように父も証しされる 御子と父が等しいということを証しされる 聖霊の証しが真理である ○ この真理を信じるのが永遠のいのちである 父と御子を信じるように 聖霊を信じなければならない ※ 聖霊に逆らえば、三位一体に逆らう その罪が軽いということはできない この世でも次に来る世でも赦しを受けることができないために、聖霊に逆らうのは恐ろしいことである

2023. 01. 01. 時がくれば、はっきりと告げる (ヨハネの福音書16:25~33)

時がくれば、はっきりと告げる (ヨハネの福音書16章25~33節) 神は 唯一でおられる その方が 御子を遣わし、御子によってこの世を救われた(ヨハネ6:39) 御子は自分の御心によってこの地に来られたのではなく、 父から遣わされて、この地に来られた(ヨハネ5:30) 「私たちが何をすれば、 神の愛を受けることができるのか」と尋ねられたのであれば、(マルコ10:17) 「イエス・キリストが 父から来た者であるということを信じることによって、 父から愛を受けることができる」と(ヨハネ16:27) いつでも答えることができなければならない(Ⅰペテロ3:15) 私たちは永遠のいのちを得るために聖書を調べ、(ヨハネ5:39) バプテスマを受け、教会に通うが、(へブル6:1~2) イエスは「永遠のいのちは まことの神とその方が遣わされたイエス・キリストを 知ることである」といわれた(ヨハネ17:3) イエスは「私は父から出て来て、この世に来た もう一度、この世を去って、父に行く」といわれた(ヨハネ16:28) これを信じているのかといわれた 熱心さを信仰と考える誤解を解かなければならない ○ 人が病気にかかるのは正常ではないためである それと同じように、信仰が正常でなければ、試みに遭う 悪魔、人、天使から嘲笑を受ける ○ 無意味に「信じます、信じます」と告白するのは 信仰ではなく、信念であり、迷信である 聖霊によって与えられる、はっきりとした信仰をもとう ○ 聖霊は 神とその方が遣わされた御子を証しする、 真理の霊でおられる ※ 信仰は真理に対するものでなければならない 聖霊によって父と御子を知る 真理は道であり、いのちである

2022. 12. 25. 私たちを探すために自分を低めて来られたイエス (ルカの福音書2:1~20)

私たちを探すために自分を低めて来られたイエス (ルカの福音書2章1~20節) イエスは この世のために 神から遣わされた救い主であり、 キリストでおられる 神が その方をこの世に遣わされたのは 神の慈しみを切に求める 罪人に対する、 限りなく大きくて深い愛と憐れみを 現すためであった このために 神の御子は 自分を極めて低め、 人の姿をもって この世に来られた また、みすぼらしい社会的な身分と 劣悪な環境をもつことを選んで、 自分のすべてを犠牲にされた ○これは この世に何も頼るものがない、 弱さと絶望の中にいる者を 探すためであった ○まことに悔い改める罪人を召して 恵みを施し、 永遠な望みとこの世に勝利する大胆さを 与えるためであった ○これをもって 神の御子イエスの誕生は 神についての真実を 飾ることなくそのまま証しする ※イエスは 永遠に私たちが頼ることができる、 唯一の望みでおられる  

2022. 12. 18. 真理の中へ導かれる聖霊 (ヨハネの福音書16:7~18)

真理の中へ導かれる聖霊 (ヨハネの福音書16章7~18節) 神は 聖なる方でおられる その方が 御子を愛して万有を造り、その権威を 御子に与えられた(マタイ28:18) しかし、謙遜な御子は自分を低め、しもべの体をもって この世に来られた(ピリピ2:5~8) その方は神の本体でおられるが、父と等しいとは考えないで、 仕える者として父に従われた 自分の命まで差し出して、唯一の父ひとりに 永遠に仕えることを決められた(マタイ6:13) 死ぬときにも父の御心に従って死なれたし、(へブル5:7) 生き返るときにも父によって生き返られた(使2:32) その言葉や行いもすべて父だけを現された 栄光と誉れを永遠に父だけにささげられた(ヨハネ12:48~50) 自ら存在する者ではなく、(出3:14) 父によって存在する者として、(ヨハネ5:30) また、永遠に父の愛を受ける御子として父を喜ばせ、(マタイ3:17) それによって義とされた(創15:6) 初めの契約のときにイスラエルに現れたのは エホバという呼び名をもつ天使であった(出3:15) エホバはすでにこの世にあったものをもって 自分の民を治めたが、ただ聖くしただけであった(出3:5) ○ 聖さのために罪と義と裁きについて知らせ、 自分の民を聖くしたが、死からいのちに 移すことはできなかった ○ 聖霊は無益な律法を廃して、真理によって人類に自由を与えた それは罪と死からの自由であった ○ 聖霊は真理を与える 信仰、義、生まれ変わり、復活について教える ※ 律法と預言者はたとえであり、完全にすることができなかったが、 聖霊の法は完全無欠であり、自由の法である 神と御子と聖徒を永遠に証しする

2022. 12. 11. イエスの名によって来られる聖霊 (ヨハネの福音書14:25~31)

イエスの名によって来られる聖霊 (ヨハネの福音書14章25~31節) 神は 良い方でおられる その方が まず人類を探して愛された(ヨハネ3:16) それゆえ、 神のふところにおられた御子をこの世に遣わし、(ヨハネ1:18) 御子を通して御言葉を知らせた(ヨハネ1:14~16) 御言葉は永遠のいのちである(ヨハネ6:68) イエスはこの世に来てその働きを終えたのちに 天に上って、父に願い求めて、(ヨハネ16:7~8) 助け主の聖霊を遣わすと約束された 五旬節の日、弟子たちが集まっていたマルコの家の大広間に(使2:1~4) 突然、激しい風が吹いて来るような響きと炎のような分かれた舌が現れて、 聖霊が豊かに臨まれた イエスが天に上られたのちに悲しんでいた者に喜びが与えられた(ヨハネ14:18~21) 聖霊が来られたときに力と賜物が与えられた(Ⅰコリント12:7) 聖霊の働きは イエスの御言葉と働きについて悟らせること、 また、真理を教えることである(ヨハネ16:13) 聖霊は真理の霊であり、真理の教師でおられる(ヨハネ14:26) 聖霊によって信じる者ははっきりとした証しを得る(ローマ8:9) ○ 私たちの信仰は十字架で流された尊い血であり、 イエスが約束として与えられた御言葉であり、 聖霊が証しされる真理である ○ 信仰が入って来た者は天の平安をもつ 罪と死の法である律法から自由を得る 聖霊の法によって聖くなる ○ イエスが天に上られたのちには この世の支配者である悪魔がさらに悪を働くが、 信じる者には聖霊の慰めがある ※ イエスが天に上られたことを喜ぼう 聖霊によって主が私たちの中におられる 私たちは死んだとしても生きるし、生きて信じる者は永遠に生きる

2022. 12. 04. イエスは父を全部現わされる (ヨハネの福音書14:9~12)

イエスは父を全部現わされる (ヨハネの福音書14章9~12節) 神は 御子とひとつでおられる その方が 御子をこの世に現されたが、 それは自分を現されたのである(ヨハネ1:18) 御子を見た者は父を見たのであり、父の声を 聞いたのである(ヨハネ17:6) 神の御子を見ながらも信じなければ、霊が死んで、 裁きを受ける(ヨハネ3:17~18) 御子を見てその声を聞いた者は父を見たのであり、(ヨハネ9:37) 父の働きを見て知ったのである(ヨハネ10:38) イエスを見ながらも、足りないと考え、さらに何かを探そうとするのであれば、 二度と父を見ることができない(ヨハネ14:9~10) 神が御子を義として遣わされたために、 御子を超越すれば、裁きを受ける(ヨハネ16:10~11) 本来、誰も父を見たことはないし、見ることもできない それゆえ、父のふところにおられるひとり子を現された(ヨハネ1:18) これは この世を愛して大きな恵みを与えられたのである(ヨハネ1:16) これによって信じる者は救いを得るし、 信じない者は裁きをすでに受けた ○ 天は 神の本体であり、御子によって御心がなされた御座であり、 イエスの名である ○ イエスは道であり、真理であり、いのちでおられる 神を知る知恵であり、知識でおられる イエスを信じないというのはすべてを信じないということである ○ イエスは父の働きをなさった 父の働きは御子の働きである 父と御子はひとつでおられる ※ イエスを信じることによって満足しなさい イエスによって満足することができなければ、堕落である 聖霊は主の身分を証しするために来られた  

2022. 11. 27. イエスの仕えを見習う戒め (ヨハネの福音書13:12~20)

イエスの仕えを見習う戒め (ヨハネの福音書13章12~20節) 神は 義でおられる その方が この世に御子を遣わされたが、御子は命じられた通りに 神の御心を現された(ヨハネ8:29) 神の御子は相続者として栄光を受けられたが、(へブル1:2) 自分を低めてこの世に来られた 父の御心に従って天で最も低い人となり、 人類の霊魂に仕えるために来られた(ピリピ2:6~8) 主は母性をもって弟子たちを教えられた(ルカ13:34) その方は神の本体のかたちでおられたが、自分を低め、子どもを顧みるように 他の人に仕えるための模範を示された(ヨハネ13:4~5) 私たちの信仰は永遠のいのちを探すが、(ヨハネ3:16) 私たちの生活は隣人を探す(マタイ10:6~8) しもべは主人に仕えるし、 遣わされた者は遣わした者に従う これが主の戒めである(マルコ12:31) 主が仕えてくださらなければ、私たちは主と何の関係もなくなる これと同じように、私たちが兄弟に仕えなければ、 兄弟と何の関係もなくなる(ヨハネ13:6~9) 神の御心は低い者に仕えることである(Ⅰペテロ5:2~3) ○ 自分を高くするのは高ぶりであり、虚栄である 神は謙遜な者を愛して高くされるし、 高ぶる者を捨てられる ○ 信仰が成長するほど、「自分を低めて 隣人を高くする」という知恵に満たされなければならない 神は謙遜な者を高くされる ○ 仕えるというまことの心はただ母性から出て来る 母性をもつ信仰人とならなければならない 謙遜は母性から出て来る ※ 教会は自分を高くするところではなく、 ガリラヤのように低めるところである イエスはガリラヤでその働きをはじめられた

2022. 11. 20. 自分のものを愛された主の愛 (ヨハネの福音書13:1~2)

自分のものを愛された主の愛 (ヨハネの福音書13章1~2節) 神は 愛でおられる その方が ひとり子を愛するように、人類を愛される その愛は変わることがない、まことの愛である(Ⅰヨハネ4:8) 神の御言葉は愛であるために、変わることがない(ダニエル6:26) 神の御名も愛であるために、変わることがない(ローマ8:35) 神の恵みも愛であるために、変わることがない(ルカ4:19) 神は永遠に変わることがない真理でおられる(へブル6:18) その愛によって私たちの霊魂を義とするという 恵みの宣言は永遠に変わることがない このように 神は最後まで愛されるが、(ヨハネ13:1) 悪魔から惑わしを受ければ、 神の愛がとどまるところはなくなるし、 主の弟子であっても滅びるしかない(ヨハネ6:70~71) 悪魔が与える考えは私たちを主と切り離し、自分の道に行かせ、 結局、自殺に追い込む(マタイ27:3~5) それゆえ、聖徒であっても試みに遭うのは 自殺するようなものである(ローマ5:12) 聖霊は私たちの霊魂を守られる ○ イエスとともにいるという者であっても 悪魔から惑わしを受けて、死ぬ 堕落して、真理を信じることができなくなる ○ 主の愛を受ける者であっても 悪魔が与える考えを入れられれば、 結局、自分の義を立てて自殺する ○ 聖霊を排除して自ら生きようとしてはいけない 神から与えられた恵みを無視すれば、 自分の霊魂を救うことができない ※ 神の御言葉は真理である 聖霊は真理でおられるし、イエスは真理でおられる 真理によって悪魔に敵対しよう