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2022. 08. 28. 福音を信じなさい (ヨハネの福音書8:21~30)

福音を信じなさい (ヨハネの福音書8章21~30節) 神は 義によって裁く その方は 御子によって自分の義を現された(ヨハネ16:10) 御子を信じる者は義とされるし、(ガラテヤ3:23~24) 御子を信じない者は裁きを受けた(ヨハネ3:18) しかし、 イエスが来られる前から罪が支配していたし、 全人類は死の宣告を受けていた(ローマ5:12~14) それゆえ、 死から救うためにキリストが来られた(ヨハネ6:39~40) 救いを受ける者の義は信仰による(ローマ4:3~5) イエスがよみがって天に上られるのを見て信じるのは 信仰ではなく、常識である 見ることができなかったとしてもこれを見た者の言葉を信じるのが信仰である(マルコ16:14) 信仰は望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものである(へブル11:1~2) それゆえ、 見て信じようとする者には祝福がない 見ないで信じようとする者が義とされる(ヨハネ20:29) ある人は救いを受けようとするが、 救う者を見ることができないために、救いを受けることができない(ヨハネ8:21) ある人は知らせを聞いて信じることによって救いを受ける(ローマ10:17) ○ 福音はただ聞かせるものであるために、聞いて信じる 見て信じようとする者は機会を失う ○ 誰も神を見たことがないし、見ることもできない しかし、私たちは福音を聞いて信じることによって、その方が生きておられるということを知るし、 その方が恵みを与える方でおられるということを信じる ○ イエスは真理でおられるし、その御言葉はまことの御言葉である イエスの御言葉を信じれば、イエスを遣わした方を信じる その信仰によって偉大な救いを受ける ※ 信仰によって救いを受けた イエスを認めて義とされた 見ることはできなかったが、復活にあずかる者となった

2022. 08. 21. 信じる者が受ける聖霊 (ヨハネの福音書7:37~44)

信じる者が受ける聖霊 (ヨハネの福音書7章37~44節) 神は 恵み深い方でおられる その方が 御子によって救いを受けた者に印を押し、 保証として聖霊を心に与えられた(Ⅱコリント1:21~22) 神を目で見た者はいないが、 私たちは神の御言葉を伝える御子によって、 神が偽りを言うことがないということを知った(ヨハネ1:18) 神は御子をこの世に遣わして、信じる者を救われた ひとりも失うことなく、(ヨハネ6:39) 聖霊によってそれぞれに印を押された(エペソ1:13~14) この世は聖霊を受けたという事実を見ることができないが、 恵みを受けた者はそれを知る(ヨハネ14:16~17) 私たちは聖霊が自分の中におられるということを知り、 それによって自分が主の中にとどまるということを知る(Ⅰヨハネ4:13) 聖霊によって主が私たちの中にとどまれば、主の戒めを通して 主の御心が現れるが、それは兄弟愛である(Ⅰヨハネ3:23~24) それゆえ、 信じる者はその心の奥底から生ける水の川が流れ出る これは信じる者が受ける助け主、 聖霊をいう(ヨハネ7:38~39) ○ 聖霊が私たちの中に臨まれれば、悪霊を追い出し、 力としるしに満たされる 自分が体験して知る知識を否定することはできない ○ 信じる者は宗教人とならないで、 聖霊の人、霊的な者となる イエスを信じる者が霊的な者である ○ 聖霊が私たちの中におられれば、多くのことを証しする 信じる者の証しはその人を岩の上に立てる 聖霊がおられなければ、証しがない宗教人である ※ 信じる者の心の奥底から生ける水の川が流れ出るというのはイエスの約束であり、 イエスが十字架で死んだのちによみがえり、 天に上られたのちに現れた証しである

2022. 08. 14. 神から与えられた信仰 (ヨハネの福音書7:1~9)

神から与えられた信仰 (ヨハネの福音書7章1~9節) 神は 御子を愛される その方が 御子のためにすべてのものを創造し、 裁きの権勢まで与えられた(マタイ19:28) イエス・キリストによって信じる者と信じない者が 区別される(マタイ25:31~33) イエスは信じる者を天に連れて行こうとされる(ヨハネ14:1~3) 私たちの信仰は商売の資本ではなく、 天に導くものである(ヨハネ6:57) しかし、 イエスの兄弟は信じないで、従わなかった(ヨハネ7:3) 親戚も信じないで、むしろ「気が狂った」といった(マルコ3:21) 同じ町に住む者も蔑視して「大工の息子」といった(ヨハネ6:42) 私たちの信仰は 神から与えられたものである 聖霊によらなければ、イエスをキリストということはできない(Ⅰコリント12:3) 聖霊によって生まれ変わらなければ、天に入って行くことができない(ヨハネ3:5) 聖霊によって御言葉を聞かなければ、戸惑うしかない(ヨハネ7:14~15) モーセから聞けば、恐れから脱け出すことができない 聖霊は真理の霊であり、主を証しされる(ヨハネ15:26) ○ 弟子たちはイエスに 自分をユダヤ人の前で現しなさいと諫めたが、イエスはユダヤ人を避けた それはその方の時がまだ来ていなかったためである ○ 信仰は感情や肉体の大胆さではなく、 神から与えられたものであり、賜物である いつ、どのようなときであるのかを知る権限は父にだけある ○ イエスを「死を避けようとする卑怯な者」と考えるのは イエスを「神の御心通りに来られた方」と信じないためである イエスの死と復活はその方が受けられた戒めである ※ 信仰はただ真理にある 真理はイエスであり、その方がなさる働きである 私たちは真理を信じる

2022. 08. 07. 永遠のいのちの御言葉 (ヨハネの福音書6:60~71)

永遠のいのちの御言葉 (ヨハネの福音書6章60~71節) 神は 聖なる方でおられる その方は 永遠のいのちでおられる その方がこの世に御子を遣わされたのは 永遠のいのちの御言葉を遣わされたのである(ヨハネ6:68) 永遠のいのちの御言葉を信じる者は 神のひとり子の栄光を見る(ヨハネ1:14) その方に恵みと真理が満ちているということを知る イエスが自分の時が近づいたということを知って、(マタイ16:21) 御言葉を深く、はっきりと語られたところ、 弟子たちはこれを担うことができなかった(マタイ16:22~23) 真理について 神の導きを受ける者はそれを永遠のいのちの御言葉と信じるが、 神の導きを受けない者はひどいと考える(ヨハネ6:60) これによって 神に属する者とこの世に属する者が区別される(Ⅰヨハネ4:5~6) 私たちが信じたのちにさらにこの世にとどまるのは 神から御言葉をさらに教わるためである 御言葉は真理、すなわち霊であり、いのちである(ヨハネ6:63) 信じる者は「永遠のいのちの御言葉がここにある」という(ヨハネ6:68) 信じない者はその御言葉をまったく知ることができない(ヨハネ6:70) ○ 神が御子に出て行かせなければ、 誰も御子に出て行くことはできない ○ 神が真理の御言葉と自分の血と 聖霊によって自分を知らせ、信じさせた 聖霊によらなければ、決して天を見ることができない ○ 私たちの信仰は御言葉の信仰である 神の御言葉が私たちの霊の中で働かなければならない 御言葉から離れた感情的な情熱は迷信であり、神秘主義である ※ 人の考えに従わないで、 神の御言葉に従おう 神の御言葉だけが永遠のいのちの御言葉である

2022. 07. 31. イエスの尊い血を信じなさい (ヨハネの福音書6:53~58)

イエスの尊い血を信じなさい (ヨハネの福音書6章53~58節) 神は 永遠のいのちでおられる その方が この世を愛して、永遠のいのちを与えるためにひとり子を与えられた 尊い血を与えられた(ヨハネ3:16) 私たちは 主イエスの尊い血を信じる(マルコ14:23~24) 主が血を流さなかったのであれば、赦しもなかった(へブル9:22) 神がひとり子をこの世に遣わされたというのは 自分の血を遣わされたということである(使20:28) ひとり子が肉体となって来られたのは血を流すためであった(ヨハネ1:14) 私たちは人物を信じるのではない 天についての話を信じるのではない 神の御心に従って流された、(ヨハネ6:37~40) イエス・キリストの血を信じる(マタイ20:28) その血を飲んでこそ、いのちを得る(ヨハネ6:53) イエスは血を流すために 十字架で殺された(ヨハネ19:33~34) 人々はどのようにしてその血を飲むのかと尋ねるが、 その血を飲んでこそ、永遠のいのちを得る それが神が永遠の前に定められた御心である ○ イエスは十字架で死ぬことによって私たちを生かした その方が流された血によって私たちは生きた 私たちはその方のものとなった ○ 私たちはバプテスマを受けることによって イエスの功労を認めたし、 イエスの血によって天の門に入って行った ○ 神はイエスを愛された 教会はイエスの体である 神は教会をまことに愛される ※ 私たちが教会を愛するというのは イエスを愛するということである これは神を喜ばせることである

2022. 07. 24. 永遠のいのちの信仰 (ヨハネの福音書6:41~51)

永遠のいのちの信仰 (ヨハネの福音書6章41~51節) 神は 永遠のいのちでおられる その方が 遣わされた人の子も永遠のいのちでおられる イエスはナザレ人でおられるが、 神から出て来た真理でおられる(ルカ1:26~31) この世の人々はその方を人と知る(ヨハネ6:42) 信仰ではなく、自然人の理性によってそのように知る イエスが天から来られたということを信じる者は 神から教えを受けた者であり、霊的な者である(マタイ16:16~17) イエスをこの世の暗い光と見る者は自然人である(マルコ3:21) イエスを神の栄光と知れば、恵みと真理に満たされる(ヨハネ1:14) それゆえ、 誰でも 神の霊によって導きを受ける者は神の子である(ローマ8:14) 家族の中にも自然人の目をもつ者と 霊的な目をもつ者がいる それゆえ、父と子が敵対し、母と娘が敵対し 姑と嫁が敵対する(マタイ10:34~36) 主イエスが来て不和をもたらしたのである これは裁きである 信じる者と信じない者が区別される(マタイ24:40~41) ○ イエスを狂った者と見るのか、それならば、罪人である イエスを神の御子と見るのか、それならば、救いを得る ○ イエスを偉大な人物、聖人と見るのか イエスを神の御子、永遠のいのちの食物と見るのか これによって天国に行くのか、地獄に行くのかが決まる ○ 私たちはイエスをキリストと信じる これは神から学んだことである 聖霊が私たちの霊魂に来て証しされる ※ イエスを普通の人と見れば、滅びる イエスを神の御子と信じれば、永遠のいのちを得る 神のように信じよう、外見をもって判断しないで、霊によって信じよう

2022. 07. 17. 神の御心通りに信じよう (ヨハネの福音書6:28~40)

神の御心通りに信じよう (ヨハネの福音書6章28~40節) 神は 良い方でおられる その方が この世を愛して信仰を与えられた 私たちはその方の愛を受けたために、その方を信じる(Ⅰヨハネ4:19) 神の愛を受けた者の信仰は変わることがない(Ⅰヨハネ4:18) 人々は宗教的な良心や労苦によって救いを得ようとするが、(ヨハネ6:28) それによっては救いを得ることができない(ローマ8:3~4) 神の働きは 人々に神が遣わされた者を信じさせることである(ヨハネ3:16、6:29) 神を信じさせるしるしは何であろうか? イエスがしるしでおられる その方が天から来られたのはその証しがはっきりとしたしるしである(ヨハネ3:14~15) イエスは天から下って来たパンであり、飲み物でおられる いのちのパンであり、いのちの飲み物でおられる(ヨハネ6:53~55) それゆえ、 その方を信じる者は永遠に飢えることも渇くこともない これが信じる者が受ける永遠のいのちである(ヨハネ7:37~38) 神が御子に与えられた者は御子のものである 御子に与えられた者はひとりも失われることがない 聖霊によって養育を受け、復活の栄光にあずかる(ヨハネ6:40) ○ 何かの働きをしてこそ、救いを得るのではない 神が遣わされた者を信じることによって 救いを受ける ○ 救いを得るためには信仰に宗教を着せようとしないで、 完全に救う方の御心通りに信じなければならない 神の御心はその名にひざまずかせることである ○ イエスは父の御心をなすためにこの世に来て、 十字架で血を流された これは人の知恵ではなく、神を信じて従う信仰によるものであった ※ 信じる者には約束がある 最後の日に生かすという約束がある イエスの死と復活がその契約のしるしである

2022. 07. 10. イエスについての証言 (ヨハネの福音書5:30~47)

イエスについての証言 (ヨハネの福音書5:30~47) 神は 霊でおられる その方が この世に自分を知らせようとして、御言葉を遣わされた(ヨハネ1:1) 御言葉は肉体となって現れ、(ヨハネ1:14) 人々に神を見せ、聞かせ、知らせた イエスを知ることによって、その方を遣わされた方を知る イエスの声を聞くことによって、 その方を遣わされた方の声を聞く(ヨハネ5:36~38) 神が御子を証しし 御子が父を証しするのが御言葉である(ヨハネ12:50) それゆえ、 神の御言葉は神が遣わされた者を証しする その証しが聖書に記録された 聖書は聖霊の証しを受ける(ヨハネ16:7~12) 聖霊の証しがあるのが真理である(ヨハネ16:13) 聖霊の証しがないのはモーセの律法である(ヨハネ5:46~47) 私たちの信仰は 神の証し、御子の証し、御言葉の証し、 聖霊の証しを受ける その証しはまことであるし、信仰もまことである(ヨハネ5:34~35) ○ 神の証しがまことであるために、義とされる その御言葉が終わりの日に人を裁く 信じる者と信じない者を分別する ○ モーセに証ししたのは天使、「エホバ」であった モーセの証しは人の証しであった 人は燃えて輝くともしびである ○ それゆえ、 神の証しだけをまことといった 神の証しを受けたものを信仰といった ※ 信仰についてはっきりと悟り、救いを受け、 復活の日に、いのちの復活を得よう 信仰は真理であり、義とされる

2022. 07. 03. 信じる者はいのちの復活に (ヨハネの福音書5:19~29)

信じる者はいのちの復活に (ヨハネの福音書5:19~29) 神は 永遠のいのちでおられる 父は 自分にあるものをすべて御子に与えられた 父の栄光は御子の栄光である 父の権勢は御子の権勢である(マタイ28:18) 御子が父の声を聞いて生きるように、(ヨハネ6:57) 御子の声を聞く者はすべて生きる これによって すべての人が父を敬うように、 御子を敬うようにする(ヨハネ5:23) 御子を敬わない者は 御子を遣わした父を敬わない 御子の言葉を聞いて、御子を遣わした父を信じる者は 永遠のいのちをもち、裁きを受けることなく、 死からいのちに移っている(ヨハネ5:24~25) 私たちの信仰は望みを育てる 私たちの望みはいのちの復活である(ヨハネ11:25) 御子を信じる者が御子の声を聞くときが来る 父のいのちが御子にある 父が御子にいのちを与え、その中にあるようにされた(ヨハネ5:26) ○ 神が御子に裁きを行う権勢を与えられた 墓の中にいる者が御子の声を聞いて出て来るときが来る そのとき、それぞれがいのちの復活と裁きの復活に出て行く ○ 現実が私たちのものではない いのちの復活が私たちのものである それは神の恵みと信仰の報いである ○ 悪魔の働きはねたみである イエスのように聖徒が復活することをねたむ 試みに遭わせ、いのちを得ることができないようにする ※ 主イエスの御言葉を聞きなさい 霊魂の深いところで御言葉に従い、 救いの日にいのちの復活に出て行こう

2022. 06. 26. 信仰にはしるしが伴う (ヨハネの福音書4:46~54)

信仰にはしるしが伴う (ヨハネの福音書4:46~54) 神は 全能な方でおられる その方が 神の天にある力をこの世に見せられた(マタイ28:18) 御心が天でなされるようにこの地でもなされる(マタイ6:10) イエスの名の意味は(マタイ1:21) 神の御心をなすことであり、罪からの救いである 「罪から」とは 「よみの権勢、悪魔の権勢、死の権勢から」という意味である(ローマ5:13~14) イエスが来られたのは自然世界から救うためであった(ヨハネ6:39~40) それゆえ、 イエスを通して偉大な救いを慕い求めて受ける 肉体が死から救いを受けることも偉大であるが、(へブル2:2~3) さらに偉大なのは霊魂が地獄から救いを受けることである(へブル2:9~11) その道はひとつしかない イエスの名を迎え入れて従うことである イエスの名には足りないものがないし、権勢と復活がある(ヨハネ11:25) しかし、 イエスの名を信じないで、何かが足りないと考えるのであれば、 それは疑いであり、不信仰である(ヨハネ14:13~14) イエスの御言葉はイエスの名の意味を現すが、 しるしを伴う(使4:12) ○ 聖霊は真理の霊でおられる イエスの名を現すし、 その名によって働く力を現す ○ 真理によって聖くなり、勝利しよう イエスの名は真理であり、救いの光である ○ イエスの名をはっきりと信じさえすれば、 イエスの名の権勢と力によってしるしが現れる ※ 肉体が死から救いを受けるのは小さな救いである 偉大な救いを得よう 霊魂がよみの権勢から救いを受けなさい そうすれば、肉体の小さな救いも受けることができる