2022. 10. 09. イエスと父はひとつでおられる (ヨハネの福音書10:22~39)

イエスと父はひとつでおられる
(ヨハネの福音書10章22~39節)

神は
栄光を受けられる
その方は
御子によって栄光を受けられる
自分を神という者は自分の栄光を
求める(詩29:1~2)
神から遣わされて神の働きをするという者は
自分の栄光を求めないで、
自分を遣わした父の栄光だけを現す(ヨハネ7:16~17)
「私はあるという者である」という「エホバ」は自分の栄光を求めるが、
イエスは父から遣わされて来て、父の働きをしながら、
栄光を父に帰す
それゆえ、
イエスは「私と父はひとつである」
といわれた(ヨハネ10:30)
その方は自分を神の御子といい、父とひとつであるといわれた
聖霊は遣わされて来て、(ヨハネ16:7~8)
イエスを証しされる(ヨハネ15:26)
それゆえ、イエスとその方はひとつでおられる(ヨハネ16:13~14)
イエスは「私が父に願い求めて、
聖霊をあなたがたに遣わす」といわれた(ヨハネ14:16)
それゆえ、御子と父と聖霊はひとつでおられる
○ 三位がひとりでおられるということを信じるのが私たちの信仰である
これは人が作った教理ではなく、聖書に記録されたことである
○ イエスは教訓やしるしをもって
父なる神の働きを現された
そして、「これは父の働きである」と強調された
○ 私たちは父と御子と聖霊の証しがひとつであるということを信じるし、
これについての証人となる
自分が伝えることがどのような意味であるのかをはっきりと知らなければならない
※ 聖霊に満たされて従うのは
イエスを信じることである
これは神に栄光をささげることであるし、信仰である

2022. 10. 02. 羊の門に入って行きなさい (ヨハネの福音書10:7~18)

羊の門に入って行きなさい
(ヨハネの福音書10章7~18節)

神は
まことの愛でおられる
その方が
人類を愛して、罪から救うために天の門を開かれた(ヨハネ10:2)
救いはその門に入って行くことである
イエス・キリストは門であり、羊の門である(ヨハネ10:7)
イエスが自分を羊の門といわれたのは
イエスによってだけが入って行くことができる道がその門にあるためであった
イエスは十字架で苦難を受けることによって(ヨハネ3:14~16)
復活に至られた(ヨハネ11:25)
イエスの功労が羊の門である(ルカ12:50)
イエス・キリストが十字架で死んで
よみがえられた、その功労が天国の門である
イエスが天から遣わされた、
助け主の聖霊も(ヨハネ14:16)
イエスの復活と十字架の血によって
私たちの心に入って来られた(使2:38)
私たちもその功労を受けて門に入って行き、
牧草を食べ、水を飲む(ヨハネ7:38~39)
羊の門をなすために
その方が受けられた苦難はどんなに大きかったであろうか(マタイ16:21~23)
○ 羊の門はバプテスマである
バプテスマは天国の門であるし、ただその門を通ってこそ天国に入って行く
イエスの功労はバプテスマである
○ イエスはこの門を通るために(ルカ12:50)
バプテスマを受けられたが、それは死と復活であった
天国の門は羊の門だけである
○ イエスの人はこの門を通って
神の国に入って行く
それはバプテスマを受けることであり、主の功労を着ることである
※ イエスの功労は
神の義に従われたことである
私たちはその功労を恵みとして受けた

2022. 09. 25. 神の御子を信じなさい (ヨハネの福音書9:24~41)

神の御子を信じなさい
(ヨハネの福音書9章24~41節)

神は
全能でおられる
その方が
御言葉を語れば、万物が服従し、
死んだ者が生き返る(ヨハネ11:43~44)
その方が救いを宣言すれば、従う者は救いを受けるし、(マタイ9:5~6)
逆らう者は救いを受けることができない(マタイ10:33)
イエスは御言葉によって悪霊を追い出し、(マタイ8:16)
病人を癒された(マルコ1:40~42)
創世以来、なかったことが御言葉に従うことによって起こった
盲人も目を開いた(ヨハネ9:32)
しかし、
この世は人の子を信じようとしない
罪の下にとどまり、(ヨハネ9:41)
神の働きの証人となることを憎む(ヨハネ9:22~24)
イエスの弟子はイエスを信じて救いを得る
モーセの弟子はモーセを信じるが、救いを受けることができない(ヨハネ9:28)
信仰をもつ者は救いを得る
救いを得た者には証しがある(Ⅱコリント13:5)
神は証しする者を守られる
どのような迫害があったとしても、証しはとどまることがない(黙12:11)
イエスも証しする者について証しされる
○ 神が遣わされた御子を信じなさい
信じて救いを受けた者は御子を証しする
○ 宗教から追放されたとしても、証人となりなさい
主がこの世を裁くときが来る
そのとき、イエスを認める者は救いを受ける
○ イエスを否認する者は罪に定められる
救う者を知ることができなければ、盲人である
つまずいて裁きを受ける
※ イエスを信じなさい、そして、証ししなさい
命を惜しまないで、イエスを証ししなさい
それによってこの世に勝利する

2022. 09. 18. イエスとシロアム (ヨハネの福音書9:1~12)

イエスとシロアム
(ヨハネの福音書9章1~12節)

神は
光の父でおられる
その方が
この世に光を遣わされたが、御子でおられる(ヨハネ9:5)
神の光は御言葉であり、まことである(ヨハネ8:12)
御言葉が肉体となってこの世に来られた
その方がイエス・キリストでおられる(ヨハネ1:14)
その方は父のひとり子としての栄光であり、
恵みと真理に満ちておられる(ヨハネ1:14)
イエスという光がこの世に現れたというのは(ヨハネ9:5、11:9)
真昼の太陽がこの世に輝いたということである
それゆえ、
誰でもその光にとどまる者はつまずくことがない(ヨハネ16:1~3)
人類は罪の下にいるために、太陽を見たとしても盲人である
恵みと真理の栄光を見ることができない(黙3:17~18)
しかし、信仰によってだけ霊的な目を開くことができる(ルカ24:44~48)
信仰は
イエスが救いを与える方でおられるということを信じるものである
信仰の霊の眼を開いた者は肉の眼も開くことができる
霊魂が幸いを得ているように、すべての点で幸いを得て、健康を得る(Ⅲヨハネ1:2)
イエスは地面につばを吐いて泥を作り、盲目に生まれついた者の目に塗りつけ、
「シロアムの池で洗いなさい」といわれた(ヨハネ9:6~7)
○ シロアムは「遣わされた者」という意味であった
イエスに従ってそこに遣わされた者は生きるという証しを受ける
○ イエスは癒しの光であり、万病の医者でおられる
その方が吐いたつばも捨てるところがないいのちであり、力である
イエスは御言葉が肉体となって現れた救い主でおられる
○ この世はその方を信じようとしない
それは自ら滅びを選ぶということである
信仰がないために、霊魂を救うことができないし、永遠のいのちを得ることができない
※ 罪人は天の働きをすることができない
神だけが天の働きをなさるし、
神に属する者だけが天の力を体験する

2022. 09. 11. 真理を信じなさい (ヨハネの福音書8:40~50)

真理を信じなさい
(ヨハネの福音書8章40~50節)

神は
まことでおられる
その方は
自分がまことであることを真理によって現された(ヨハネ14:6)
神の御言葉は真理である(ヨハネ8:32)
真理は偽ることがなく、いのちであり、常に生きている(ヨハネ6:68)
義と不義を裁く(詩9:7~8)
神の御子がこの世に現れたのは
この世を裁くためであった(ヨハネ5:22~23)
その方は人の子となった義人でおられる
この世には義人がひとりもいない(ローマ3:10)
イエスだけが義人でおられる(ヨハネ16:10)
それゆえ、
イエスは真理だけを語られる(ヨハネ8:45~46)
この世は真理を悟ることができない
この世には真理がない
偽りだけがあるが、これは悪魔の性格である(ヨハネ8:44)
悪魔は初めから偽り者であり、偽りの父である
神に属する者はまことの言葉を語る(ヨハネ8:47)
この世に属する者はこの世に属する言葉を語るし、 悪魔の子である
それゆえ、真理を無視して殺そうとする
○ 聖霊は真理の霊でおられるし、
イエスを証しされる
聖霊の証しを受ける方が真理でおられる
○ イエスはアブラハムの子孫でおられるし、
ユダヤ人もアブラハムの子孫である
しかし、イエスは天から来られたし、ユダヤ人は地から出て来た
○ 天から来た者はまことの言葉を語る
地から出て来た者は偽りを言うが、これは父である悪魔の属性である
霊魂を愛する者はまことの言葉を信じる
※ まことの言葉を信じる者が霊に属する者である
肉に属する者は肉に属する言葉を語るが、それは死である
霊に属する者は霊に属する言葉を語るが、それは永遠のいのちである

2022. 09. 04. 御言葉にとどまりなさい (ヨハネの福音書8:31~36)

御言葉にとどまりなさい
(ヨハネの福音書8章31~36節)

神は
良い方でおられる
その方が
天に栄光を置くために御子を相続者とし、
すべての権勢を与えられた(ヨハネ17:1~2)
しかし、御子は自分を父と等しいとは考えないで、
謙遜に自分を低め、人となって、(ピリピ2:6~8)
父の名を高められた(ヨハネ17:6)
このとき、
天使長のひとりを管理人とし、
御座の主人が入って来るときまでその栄光を預けられた(ルカ12:42)
このとき、別の天使が天の栄光の管理人に
挑んで罪を犯した(マルコ12:1~9)
それゆえ、天使長ミカエルとその天使たちが罪を犯した天使を(イザヤ14:12~14)
天から追い出し、裁きの時まで暗やみに閉じ込めた(黙12:7~8、Ⅱペテロ2:4)
裁きは
神の御子が再び来るときになされる
その方は神が愛する人の子でおられる(ヨハネ5:27~29)
その方が暗やみによみを造り、罪を犯した天使を閉じ込めた(ユダ1:6)
よみという宇宙は罪と死の権勢が
支配しているために、必ず裁きがなされる(ローマ5:21)
○ 信仰が来るときまで全人類は悪魔に属しており、
怒りの子であったが、憐れみが豊かな
イエス・キリストの恵みによって救いを得た
○ 救いを得たというのは自由を得たということである
悪魔から自由を得たし、その権勢である罪と死から自由を得た
罪と死からいのちに移された
○ 律法は罪と死からいのちに移すことができないし、無益である
それゆえ、取り除かれて、恵みの福音が伝えられた
それがイエス・キリストの恵みと真理である
※ イエスを信じれば、自由を得る
罪と死に勝利した方が自由を得させるのであれば、まことに自由を得る
救いを受けた者は罪と死からまことに自由を得た者である

2022. 08. 28. 福音を信じなさい (ヨハネの福音書8:21~30)

福音を信じなさい
(ヨハネの福音書8章21~30節)

神は
義によって裁く
その方は
御子によって自分の義を現された(ヨハネ16:10)
御子を信じる者は義とされるし、(ガラテヤ3:23~24)
御子を信じない者は裁きを受けた(ヨハネ3:18)
しかし、
イエスが来られる前から罪が支配していたし、
全人類は死の宣告を受けていた(ローマ5:12~14)
それゆえ、
死から救うためにキリストが来られた(ヨハネ6:39~40)
救いを受ける者の義は信仰による(ローマ4:3~5)
イエスがよみがって天に上られるのを見て信じるのは
信仰ではなく、常識である
見ることができなかったとしてもこれを見た者の言葉を信じるのが信仰である(マルコ16:14)
信仰は望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものである(へブル11:1~2)
それゆえ、
見て信じようとする者には祝福がない
見ないで信じようとする者が義とされる(ヨハネ20:29)
ある人は救いを受けようとするが、
救う者を見ることができないために、救いを受けることができない(ヨハネ8:21)
ある人は知らせを聞いて信じることによって救いを受ける(ローマ10:17)
○ 福音はただ聞かせるものであるために、聞いて信じる
見て信じようとする者は機会を失う
○ 誰も神を見たことがないし、見ることもできない
しかし、私たちは福音を聞いて信じることによって、その方が生きておられるということを知るし、
その方が恵みを与える方でおられるということを信じる
○ イエスは真理でおられるし、その御言葉はまことの御言葉である
イエスの御言葉を信じれば、イエスを遣わした方を信じる
その信仰によって偉大な救いを受ける
※ 信仰によって救いを受けた
イエスを認めて義とされた
見ることはできなかったが、復活にあずかる者となった

2022. 08. 21. 信じる者が受ける聖霊 (ヨハネの福音書7:37~44)

信じる者が受ける聖霊
(ヨハネの福音書7章37~44節)

神は
恵み深い方でおられる
その方が
御子によって救いを受けた者に印を押し、
保証として聖霊を心に与えられた(Ⅱコリント1:21~22)
神を目で見た者はいないが、
私たちは神の御言葉を伝える御子によって、
神が偽りを言うことがないということを知った(ヨハネ1:18)
神は御子をこの世に遣わして、信じる者を救われた
ひとりも失うことなく、(ヨハネ6:39)
聖霊によってそれぞれに印を押された(エペソ1:13~14)
この世は聖霊を受けたという事実を見ることができないが、
恵みを受けた者はそれを知る(ヨハネ14:16~17)
私たちは聖霊が自分の中におられるということを知り、
それによって自分が主の中にとどまるということを知る(Ⅰヨハネ4:13)
聖霊によって主が私たちの中にとどまれば、主の戒めを通して
主の御心が現れるが、それは兄弟愛である(Ⅰヨハネ3:23~24)
それゆえ、
信じる者はその心の奥底から生ける水の川が流れ出る
これは信じる者が受ける助け主、
聖霊をいう(ヨハネ7:38~39)
○ 聖霊が私たちの中に臨まれれば、悪霊を追い出し、
力としるしに満たされる
自分が体験して知る知識を否定することはできない
○ 信じる者は宗教人とならないで、
聖霊の人、霊的な者となる
イエスを信じる者が霊的な者である
○ 聖霊が私たちの中におられれば、多くのことを証しする
信じる者の証しはその人を岩の上に立てる
聖霊がおられなければ、証しがない宗教人である
※ 信じる者の心の奥底から生ける水の川が流れ出るというのはイエスの約束であり、
イエスが十字架で死んだのちによみがえり、
天に上られたのちに現れた証しである

2022. 08. 14. 神から与えられた信仰 (ヨハネの福音書7:1~9)

神から与えられた信仰
(ヨハネの福音書7章1~9節)

神は
御子を愛される
その方が
御子のためにすべてのものを創造し、
裁きの権勢まで与えられた(マタイ19:28)
イエス・キリストによって信じる者と信じない者が
区別される(マタイ25:31~33)
イエスは信じる者を天に連れて行こうとされる(ヨハネ14:1~3)
私たちの信仰は商売の資本ではなく、
天に導くものである(ヨハネ6:57)
しかし、
イエスの兄弟は信じないで、従わなかった(ヨハネ7:3)
親戚も信じないで、むしろ「気が狂った」といった(マルコ3:21)
同じ町に住む者も蔑視して「大工の息子」といった(ヨハネ6:42)
私たちの信仰は
神から与えられたものである
聖霊によらなければ、イエスをキリストということはできない(Ⅰコリント12:3)
聖霊によって生まれ変わらなければ、天に入って行くことができない(ヨハネ3:5)
聖霊によって御言葉を聞かなければ、戸惑うしかない(ヨハネ7:14~15)
モーセから聞けば、恐れから脱け出すことができない
聖霊は真理の霊であり、主を証しされる(ヨハネ15:26)
○ 弟子たちはイエスに
自分をユダヤ人の前で現しなさいと諫めたが、イエスはユダヤ人を避けた
それはその方の時がまだ来ていなかったためである
○ 信仰は感情や肉体の大胆さではなく、
神から与えられたものであり、賜物である
いつ、どのようなときであるのかを知る権限は父にだけある
○ イエスを「死を避けようとする卑怯な者」と考えるのは
イエスを「神の御心通りに来られた方」と信じないためである
イエスの死と復活はその方が受けられた戒めである
※ 信仰はただ真理にある
真理はイエスであり、その方がなさる働きである
私たちは真理を信じる

2022. 08. 07. 永遠のいのちの御言葉 (ヨハネの福音書6:60~71)

永遠のいのちの御言葉
(ヨハネの福音書6章60~71節)

神は
聖なる方でおられる
その方は
永遠のいのちでおられる
その方がこの世に御子を遣わされたのは
永遠のいのちの御言葉を遣わされたのである(ヨハネ6:68)
永遠のいのちの御言葉を信じる者は
神のひとり子の栄光を見る(ヨハネ1:14)
その方に恵みと真理が満ちているということを知る
イエスが自分の時が近づいたということを知って、(マタイ16:21)
御言葉を深く、はっきりと語られたところ、
弟子たちはこれを担うことができなかった(マタイ16:22~23)
真理について
神の導きを受ける者はそれを永遠のいのちの御言葉と信じるが、
神の導きを受けない者はひどいと考える(ヨハネ6:60)
これによって
神に属する者とこの世に属する者が区別される(Ⅰヨハネ4:5~6)
私たちが信じたのちにさらにこの世にとどまるのは
神から御言葉をさらに教わるためである
御言葉は真理、すなわち霊であり、いのちである(ヨハネ6:63)
信じる者は「永遠のいのちの御言葉がここにある」という(ヨハネ6:68)
信じない者はその御言葉をまったく知ることができない(ヨハネ6:70)
○ 神が御子に出て行かせなければ、
誰も御子に出て行くことはできない
○ 神が真理の御言葉と自分の血と
聖霊によって自分を知らせ、信じさせた
聖霊によらなければ、決して天を見ることができない
○ 私たちの信仰は御言葉の信仰である
神の御言葉が私たちの霊の中で働かなければならない
御言葉から離れた感情的な情熱は迷信であり、神秘主義である
※ 人の考えに従わないで、
神の御言葉に従おう
神の御言葉だけが永遠のいのちの御言葉である