2022. 09. 25. 神の御子を信じなさい (ヨハネの福音書9:24~41)

神の御子を信じなさい
(ヨハネの福音書9章24~41節)

神は
全能でおられる
その方が
御言葉を語れば、万物が服従し、
死んだ者が生き返る(ヨハネ11:43~44)
その方が救いを宣言すれば、従う者は救いを受けるし、(マタイ9:5~6)
逆らう者は救いを受けることができない(マタイ10:33)
イエスは御言葉によって悪霊を追い出し、(マタイ8:16)
病人を癒された(マルコ1:40~42)
創世以来、なかったことが御言葉に従うことによって起こった
盲人も目を開いた(ヨハネ9:32)
しかし、
この世は人の子を信じようとしない
罪の下にとどまり、(ヨハネ9:41)
神の働きの証人となることを憎む(ヨハネ9:22~24)
イエスの弟子はイエスを信じて救いを得る
モーセの弟子はモーセを信じるが、救いを受けることができない(ヨハネ9:28)
信仰をもつ者は救いを得る
救いを得た者には証しがある(Ⅱコリント13:5)
神は証しする者を守られる
どのような迫害があったとしても、証しはとどまることがない(黙12:11)
イエスも証しする者について証しされる
○ 神が遣わされた御子を信じなさい
信じて救いを受けた者は御子を証しする
○ 宗教から追放されたとしても、証人となりなさい
主がこの世を裁くときが来る
そのとき、イエスを認める者は救いを受ける
○ イエスを否認する者は罪に定められる
救う者を知ることができなければ、盲人である
つまずいて裁きを受ける
※ イエスを信じなさい、そして、証ししなさい
命を惜しまないで、イエスを証ししなさい
それによってこの世に勝利する

2022. 09. 18. イエスとシロアム (ヨハネの福音書9:1~12)

イエスとシロアム
(ヨハネの福音書9章1~12節)

神は
光の父でおられる
その方が
この世に光を遣わされたが、御子でおられる(ヨハネ9:5)
神の光は御言葉であり、まことである(ヨハネ8:12)
御言葉が肉体となってこの世に来られた
その方がイエス・キリストでおられる(ヨハネ1:14)
その方は父のひとり子としての栄光であり、
恵みと真理に満ちておられる(ヨハネ1:14)
イエスという光がこの世に現れたというのは(ヨハネ9:5、11:9)
真昼の太陽がこの世に輝いたということである
それゆえ、
誰でもその光にとどまる者はつまずくことがない(ヨハネ16:1~3)
人類は罪の下にいるために、太陽を見たとしても盲人である
恵みと真理の栄光を見ることができない(黙3:17~18)
しかし、信仰によってだけ霊的な目を開くことができる(ルカ24:44~48)
信仰は
イエスが救いを与える方でおられるということを信じるものである
信仰の霊の眼を開いた者は肉の眼も開くことができる
霊魂が幸いを得ているように、すべての点で幸いを得て、健康を得る(Ⅲヨハネ1:2)
イエスは地面につばを吐いて泥を作り、盲目に生まれついた者の目に塗りつけ、
「シロアムの池で洗いなさい」といわれた(ヨハネ9:6~7)
○ シロアムは「遣わされた者」という意味であった
イエスに従ってそこに遣わされた者は生きるという証しを受ける
○ イエスは癒しの光であり、万病の医者でおられる
その方が吐いたつばも捨てるところがないいのちであり、力である
イエスは御言葉が肉体となって現れた救い主でおられる
○ この世はその方を信じようとしない
それは自ら滅びを選ぶということである
信仰がないために、霊魂を救うことができないし、永遠のいのちを得ることができない
※ 罪人は天の働きをすることができない
神だけが天の働きをなさるし、
神に属する者だけが天の力を体験する

2022. 09. 11. 真理を信じなさい (ヨハネの福音書8:40~50)

真理を信じなさい
(ヨハネの福音書8章40~50節)

神は
まことでおられる
その方は
自分がまことであることを真理によって現された(ヨハネ14:6)
神の御言葉は真理である(ヨハネ8:32)
真理は偽ることがなく、いのちであり、常に生きている(ヨハネ6:68)
義と不義を裁く(詩9:7~8)
神の御子がこの世に現れたのは
この世を裁くためであった(ヨハネ5:22~23)
その方は人の子となった義人でおられる
この世には義人がひとりもいない(ローマ3:10)
イエスだけが義人でおられる(ヨハネ16:10)
それゆえ、
イエスは真理だけを語られる(ヨハネ8:45~46)
この世は真理を悟ることができない
この世には真理がない
偽りだけがあるが、これは悪魔の性格である(ヨハネ8:44)
悪魔は初めから偽り者であり、偽りの父である
神に属する者はまことの言葉を語る(ヨハネ8:47)
この世に属する者はこの世に属する言葉を語るし、 悪魔の子である
それゆえ、真理を無視して殺そうとする
○ 聖霊は真理の霊でおられるし、
イエスを証しされる
聖霊の証しを受ける方が真理でおられる
○ イエスはアブラハムの子孫でおられるし、
ユダヤ人もアブラハムの子孫である
しかし、イエスは天から来られたし、ユダヤ人は地から出て来た
○ 天から来た者はまことの言葉を語る
地から出て来た者は偽りを言うが、これは父である悪魔の属性である
霊魂を愛する者はまことの言葉を信じる
※ まことの言葉を信じる者が霊に属する者である
肉に属する者は肉に属する言葉を語るが、それは死である
霊に属する者は霊に属する言葉を語るが、それは永遠のいのちである

2022. 09. 04. 御言葉にとどまりなさい (ヨハネの福音書8:31~36)

御言葉にとどまりなさい
(ヨハネの福音書8章31~36節)

神は
良い方でおられる
その方が
天に栄光を置くために御子を相続者とし、
すべての権勢を与えられた(ヨハネ17:1~2)
しかし、御子は自分を父と等しいとは考えないで、
謙遜に自分を低め、人となって、(ピリピ2:6~8)
父の名を高められた(ヨハネ17:6)
このとき、
天使長のひとりを管理人とし、
御座の主人が入って来るときまでその栄光を預けられた(ルカ12:42)
このとき、別の天使が天の栄光の管理人に
挑んで罪を犯した(マルコ12:1~9)
それゆえ、天使長ミカエルとその天使たちが罪を犯した天使を(イザヤ14:12~14)
天から追い出し、裁きの時まで暗やみに閉じ込めた(黙12:7~8、Ⅱペテロ2:4)
裁きは
神の御子が再び来るときになされる
その方は神が愛する人の子でおられる(ヨハネ5:27~29)
その方が暗やみによみを造り、罪を犯した天使を閉じ込めた(ユダ1:6)
よみという宇宙は罪と死の権勢が
支配しているために、必ず裁きがなされる(ローマ5:21)
○ 信仰が来るときまで全人類は悪魔に属しており、
怒りの子であったが、憐れみが豊かな
イエス・キリストの恵みによって救いを得た
○ 救いを得たというのは自由を得たということである
悪魔から自由を得たし、その権勢である罪と死から自由を得た
罪と死からいのちに移された
○ 律法は罪と死からいのちに移すことができないし、無益である
それゆえ、取り除かれて、恵みの福音が伝えられた
それがイエス・キリストの恵みと真理である
※ イエスを信じれば、自由を得る
罪と死に勝利した方が自由を得させるのであれば、まことに自由を得る
救いを受けた者は罪と死からまことに自由を得た者である

2022. 08. 28. 福音を信じなさい (ヨハネの福音書8:21~30)

福音を信じなさい
(ヨハネの福音書8章21~30節)

神は
義によって裁く
その方は
御子によって自分の義を現された(ヨハネ16:10)
御子を信じる者は義とされるし、(ガラテヤ3:23~24)
御子を信じない者は裁きを受けた(ヨハネ3:18)
しかし、
イエスが来られる前から罪が支配していたし、
全人類は死の宣告を受けていた(ローマ5:12~14)
それゆえ、
死から救うためにキリストが来られた(ヨハネ6:39~40)
救いを受ける者の義は信仰による(ローマ4:3~5)
イエスがよみがって天に上られるのを見て信じるのは
信仰ではなく、常識である
見ることができなかったとしてもこれを見た者の言葉を信じるのが信仰である(マルコ16:14)
信仰は望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものである(へブル11:1~2)
それゆえ、
見て信じようとする者には祝福がない
見ないで信じようとする者が義とされる(ヨハネ20:29)
ある人は救いを受けようとするが、
救う者を見ることができないために、救いを受けることができない(ヨハネ8:21)
ある人は知らせを聞いて信じることによって救いを受ける(ローマ10:17)
○ 福音はただ聞かせるものであるために、聞いて信じる
見て信じようとする者は機会を失う
○ 誰も神を見たことがないし、見ることもできない
しかし、私たちは福音を聞いて信じることによって、その方が生きておられるということを知るし、
その方が恵みを与える方でおられるということを信じる
○ イエスは真理でおられるし、その御言葉はまことの御言葉である
イエスの御言葉を信じれば、イエスを遣わした方を信じる
その信仰によって偉大な救いを受ける
※ 信仰によって救いを受けた
イエスを認めて義とされた
見ることはできなかったが、復活にあずかる者となった

2022. 08. 21. 信じる者が受ける聖霊 (ヨハネの福音書7:37~44)

信じる者が受ける聖霊
(ヨハネの福音書7章37~44節)

神は
恵み深い方でおられる
その方が
御子によって救いを受けた者に印を押し、
保証として聖霊を心に与えられた(Ⅱコリント1:21~22)
神を目で見た者はいないが、
私たちは神の御言葉を伝える御子によって、
神が偽りを言うことがないということを知った(ヨハネ1:18)
神は御子をこの世に遣わして、信じる者を救われた
ひとりも失うことなく、(ヨハネ6:39)
聖霊によってそれぞれに印を押された(エペソ1:13~14)
この世は聖霊を受けたという事実を見ることができないが、
恵みを受けた者はそれを知る(ヨハネ14:16~17)
私たちは聖霊が自分の中におられるということを知り、
それによって自分が主の中にとどまるということを知る(Ⅰヨハネ4:13)
聖霊によって主が私たちの中にとどまれば、主の戒めを通して
主の御心が現れるが、それは兄弟愛である(Ⅰヨハネ3:23~24)
それゆえ、
信じる者はその心の奥底から生ける水の川が流れ出る
これは信じる者が受ける助け主、
聖霊をいう(ヨハネ7:38~39)
○ 聖霊が私たちの中に臨まれれば、悪霊を追い出し、
力としるしに満たされる
自分が体験して知る知識を否定することはできない
○ 信じる者は宗教人とならないで、
聖霊の人、霊的な者となる
イエスを信じる者が霊的な者である
○ 聖霊が私たちの中におられれば、多くのことを証しする
信じる者の証しはその人を岩の上に立てる
聖霊がおられなければ、証しがない宗教人である
※ 信じる者の心の奥底から生ける水の川が流れ出るというのはイエスの約束であり、
イエスが十字架で死んだのちによみがえり、
天に上られたのちに現れた証しである

2022. 08. 14. 神から与えられた信仰 (ヨハネの福音書7:1~9)

神から与えられた信仰
(ヨハネの福音書7章1~9節)

神は
御子を愛される
その方が
御子のためにすべてのものを創造し、
裁きの権勢まで与えられた(マタイ19:28)
イエス・キリストによって信じる者と信じない者が
区別される(マタイ25:31~33)
イエスは信じる者を天に連れて行こうとされる(ヨハネ14:1~3)
私たちの信仰は商売の資本ではなく、
天に導くものである(ヨハネ6:57)
しかし、
イエスの兄弟は信じないで、従わなかった(ヨハネ7:3)
親戚も信じないで、むしろ「気が狂った」といった(マルコ3:21)
同じ町に住む者も蔑視して「大工の息子」といった(ヨハネ6:42)
私たちの信仰は
神から与えられたものである
聖霊によらなければ、イエスをキリストということはできない(Ⅰコリント12:3)
聖霊によって生まれ変わらなければ、天に入って行くことができない(ヨハネ3:5)
聖霊によって御言葉を聞かなければ、戸惑うしかない(ヨハネ7:14~15)
モーセから聞けば、恐れから脱け出すことができない
聖霊は真理の霊であり、主を証しされる(ヨハネ15:26)
○ 弟子たちはイエスに
自分をユダヤ人の前で現しなさいと諫めたが、イエスはユダヤ人を避けた
それはその方の時がまだ来ていなかったためである
○ 信仰は感情や肉体の大胆さではなく、
神から与えられたものであり、賜物である
いつ、どのようなときであるのかを知る権限は父にだけある
○ イエスを「死を避けようとする卑怯な者」と考えるのは
イエスを「神の御心通りに来られた方」と信じないためである
イエスの死と復活はその方が受けられた戒めである
※ 信仰はただ真理にある
真理はイエスであり、その方がなさる働きである
私たちは真理を信じる

2022. 08. 07. 永遠のいのちの御言葉 (ヨハネの福音書6:60~71)

永遠のいのちの御言葉
(ヨハネの福音書6章60~71節)

神は
聖なる方でおられる
その方は
永遠のいのちでおられる
その方がこの世に御子を遣わされたのは
永遠のいのちの御言葉を遣わされたのである(ヨハネ6:68)
永遠のいのちの御言葉を信じる者は
神のひとり子の栄光を見る(ヨハネ1:14)
その方に恵みと真理が満ちているということを知る
イエスが自分の時が近づいたということを知って、(マタイ16:21)
御言葉を深く、はっきりと語られたところ、
弟子たちはこれを担うことができなかった(マタイ16:22~23)
真理について
神の導きを受ける者はそれを永遠のいのちの御言葉と信じるが、
神の導きを受けない者はひどいと考える(ヨハネ6:60)
これによって
神に属する者とこの世に属する者が区別される(Ⅰヨハネ4:5~6)
私たちが信じたのちにさらにこの世にとどまるのは
神から御言葉をさらに教わるためである
御言葉は真理、すなわち霊であり、いのちである(ヨハネ6:63)
信じる者は「永遠のいのちの御言葉がここにある」という(ヨハネ6:68)
信じない者はその御言葉をまったく知ることができない(ヨハネ6:70)
○ 神が御子に出て行かせなければ、
誰も御子に出て行くことはできない
○ 神が真理の御言葉と自分の血と
聖霊によって自分を知らせ、信じさせた
聖霊によらなければ、決して天を見ることができない
○ 私たちの信仰は御言葉の信仰である
神の御言葉が私たちの霊の中で働かなければならない
御言葉から離れた感情的な情熱は迷信であり、神秘主義である
※ 人の考えに従わないで、
神の御言葉に従おう
神の御言葉だけが永遠のいのちの御言葉である

2022. 07. 31. イエスの尊い血を信じなさい (ヨハネの福音書6:53~58)

イエスの尊い血を信じなさい
(ヨハネの福音書6章53~58節)

神は
永遠のいのちでおられる
その方が
この世を愛して、永遠のいのちを与えるためにひとり子を与えられた
尊い血を与えられた(ヨハネ3:16)
私たちは
主イエスの尊い血を信じる(マルコ14:23~24)
主が血を流さなかったのであれば、赦しもなかった(へブル9:22)
神がひとり子をこの世に遣わされたというのは
自分の血を遣わされたということである(使20:28)
ひとり子が肉体となって来られたのは血を流すためであった(ヨハネ1:14)
私たちは人物を信じるのではない
天についての話を信じるのではない
神の御心に従って流された、(ヨハネ6:37~40)
イエス・キリストの血を信じる(マタイ20:28)
その血を飲んでこそ、いのちを得る(ヨハネ6:53)
イエスは血を流すために
十字架で殺された(ヨハネ19:33~34)
人々はどのようにしてその血を飲むのかと尋ねるが、
その血を飲んでこそ、永遠のいのちを得る
それが神が永遠の前に定められた御心である
○ イエスは十字架で死ぬことによって私たちを生かした
その方が流された血によって私たちは生きた
私たちはその方のものとなった
○ 私たちはバプテスマを受けることによって
イエスの功労を認めたし、
イエスの血によって天の門に入って行った
○ 神はイエスを愛された
教会はイエスの体である
神は教会をまことに愛される
※ 私たちが教会を愛するというのは
イエスを愛するということである
これは神を喜ばせることである

2022. 07. 24. 永遠のいのちの信仰 (ヨハネの福音書6:41~51)

永遠のいのちの信仰
(ヨハネの福音書6章41~51節)

神は
永遠のいのちでおられる
その方が
遣わされた人の子も永遠のいのちでおられる
イエスはナザレ人でおられるが、
神から出て来た真理でおられる(ルカ1:26~31)
この世の人々はその方を人と知る(ヨハネ6:42)
信仰ではなく、自然人の理性によってそのように知る
イエスが天から来られたということを信じる者は
神から教えを受けた者であり、霊的な者である(マタイ16:16~17)
イエスをこの世の暗い光と見る者は自然人である(マルコ3:21)
イエスを神の栄光と知れば、恵みと真理に満たされる(ヨハネ1:14)
それゆえ、
誰でも
神の霊によって導きを受ける者は神の子である(ローマ8:14)
家族の中にも自然人の目をもつ者と
霊的な目をもつ者がいる
それゆえ、父と子が敵対し、母と娘が敵対し
姑と嫁が敵対する(マタイ10:34~36)
主イエスが来て不和をもたらしたのである
これは裁きである
信じる者と信じない者が区別される(マタイ24:40~41)
○ イエスを狂った者と見るのか、それならば、罪人である
イエスを神の御子と見るのか、それならば、救いを得る
○ イエスを偉大な人物、聖人と見るのか
イエスを神の御子、永遠のいのちの食物と見るのか
これによって天国に行くのか、地獄に行くのかが決まる
○ 私たちはイエスをキリストと信じる
これは神から学んだことである
聖霊が私たちの霊魂に来て証しされる
※ イエスを普通の人と見れば、滅びる
イエスを神の御子と信じれば、永遠のいのちを得る
神のように信じよう、外見をもって判断しないで、霊によって信じよう