2022. 12. 25. 私たちを探すために自分を低めて来られたイエス (ルカの福音書2:1~20)

私たちを探すために自分を低めて来られたイエス
(ルカの福音書2章1~20節)

イエスは
この世のために
神から遣わされた救い主であり、
キリストでおられる
神が
その方をこの世に遣わされたのは
神の慈しみを切に求める
罪人に対する、
限りなく大きくて深い愛と憐れみを
現すためであった
このために
神の御子は
自分を極めて低め、
人の姿をもって
この世に来られた
また、みすぼらしい社会的な身分と
劣悪な環境をもつことを選んで、
自分のすべてを犠牲にされた
○これは
この世に何も頼るものがない、
弱さと絶望の中にいる者を
探すためであった
○まことに悔い改める罪人を召して
恵みを施し、
永遠な望みとこの世に勝利する大胆さを
与えるためであった
○これをもって
神の御子イエスの誕生は
神についての真実を
飾ることなくそのまま証しする
※イエスは
永遠に私たちが頼ることができる、
唯一の望みでおられる

 

2022. 12. 18. 真理の中へ導かれる聖霊 (ヨハネの福音書16:7~18)

真理の中へ導かれる聖霊
(ヨハネの福音書16章7~18節)

神は
聖なる方でおられる
その方が
御子を愛して万有を造り、その権威を
御子に与えられた(マタイ28:18)
しかし、謙遜な御子は自分を低め、しもべの体をもって
この世に来られた(ピリピ2:5~8)
その方は神の本体でおられるが、父と等しいとは考えないで、
仕える者として父に従われた
自分の命まで差し出して、唯一の父ひとりに
永遠に仕えることを決められた(マタイ6:13)
死ぬときにも父の御心に従って死なれたし、(へブル5:7)
生き返るときにも父によって生き返られた(使2:32)
その言葉や行いもすべて父だけを現された
栄光と誉れを永遠に父だけにささげられた(ヨハネ12:48~50)
自ら存在する者ではなく、(出3:14)
父によって存在する者として、(ヨハネ5:30)
また、永遠に父の愛を受ける御子として父を喜ばせ、(マタイ3:17)
それによって義とされた(創15:6)
初めの契約のときにイスラエルに現れたのは
エホバという呼び名をもつ天使であった(出3:15)
エホバはすでにこの世にあったものをもって
自分の民を治めたが、ただ聖くしただけであった(出3:5)
○ 聖さのために罪と義と裁きについて知らせ、
自分の民を聖くしたが、死からいのちに
移すことはできなかった
○ 聖霊は無益な律法を廃して、真理によって人類に自由を与えた
それは罪と死からの自由であった
○ 聖霊は真理を与える
信仰、義、生まれ変わり、復活について教える
※ 律法と預言者はたとえであり、完全にすることができなかったが、
聖霊の法は完全無欠であり、自由の法である
神と御子と聖徒を永遠に証しする

2022. 12. 11. イエスの名によって来られる聖霊 (ヨハネの福音書14:25~31)

イエスの名によって来られる聖霊
(ヨハネの福音書14章25~31節)

神は
良い方でおられる
その方が
まず人類を探して愛された(ヨハネ3:16)
それゆえ、
神のふところにおられた御子をこの世に遣わし、(ヨハネ1:18)
御子を通して御言葉を知らせた(ヨハネ1:14~16)
御言葉は永遠のいのちである(ヨハネ6:68)
イエスはこの世に来てその働きを終えたのちに
天に上って、父に願い求めて、(ヨハネ16:7~8)
助け主の聖霊を遣わすと約束された
五旬節の日、弟子たちが集まっていたマルコの家の大広間に(使2:1~4)
突然、激しい風が吹いて来るような響きと炎のような分かれた舌が現れて、
聖霊が豊かに臨まれた
イエスが天に上られたのちに悲しんでいた者に喜びが与えられた(ヨハネ14:18~21)
聖霊が来られたときに力と賜物が与えられた(Ⅰコリント12:7)
聖霊の働きは
イエスの御言葉と働きについて悟らせること、
また、真理を教えることである(ヨハネ16:13)
聖霊は真理の霊であり、真理の教師でおられる(ヨハネ14:26)
聖霊によって信じる者ははっきりとした証しを得る(ローマ8:9)
○ 私たちの信仰は十字架で流された尊い血であり、
イエスが約束として与えられた御言葉であり、
聖霊が証しされる真理である
○ 信仰が入って来た者は天の平安をもつ
罪と死の法である律法から自由を得る
聖霊の法によって聖くなる
○ イエスが天に上られたのちには
この世の支配者である悪魔がさらに悪を働くが、
信じる者には聖霊の慰めがある
※ イエスが天に上られたことを喜ぼう
聖霊によって主が私たちの中におられる
私たちは死んだとしても生きるし、生きて信じる者は永遠に生きる

2022. 12. 04. イエスは父を全部現わされる (ヨハネの福音書14:9~12)

イエスは父を全部現わされる
(ヨハネの福音書14章9~12節)

神は
御子とひとつでおられる
その方が
御子をこの世に現されたが、
それは自分を現されたのである(ヨハネ1:18)
御子を見た者は父を見たのであり、父の声を
聞いたのである(ヨハネ17:6)
神の御子を見ながらも信じなければ、霊が死んで、
裁きを受ける(ヨハネ3:17~18)
御子を見てその声を聞いた者は父を見たのであり、(ヨハネ9:37)
父の働きを見て知ったのである(ヨハネ10:38)
イエスを見ながらも、足りないと考え、さらに何かを探そうとするのであれば、
二度と父を見ることができない(ヨハネ14:9~10)
神が御子を義として遣わされたために、
御子を超越すれば、裁きを受ける(ヨハネ16:10~11)
本来、誰も父を見たことはないし、見ることもできない
それゆえ、父のふところにおられるひとり子を現された(ヨハネ1:18)
これは
この世を愛して大きな恵みを与えられたのである(ヨハネ1:16)
これによって信じる者は救いを得るし、
信じない者は裁きをすでに受けた
○ 天は
神の本体であり、御子によって御心がなされた御座であり、
イエスの名である
○ イエスは道であり、真理であり、いのちでおられる
神を知る知恵であり、知識でおられる
イエスを信じないというのはすべてを信じないということである
○ イエスは父の働きをなさった
父の働きは御子の働きである
父と御子はひとつでおられる
※ イエスを信じることによって満足しなさい
イエスによって満足することができなければ、堕落である
聖霊は主の身分を証しするために来られた

 

2022. 11. 27. イエスの仕えを見習う戒め (ヨハネの福音書13:12~20)

イエスの仕えを見習う戒め
(ヨハネの福音書13章12~20節)

神は
義でおられる
その方が
この世に御子を遣わされたが、御子は命じられた通りに
神の御心を現された(ヨハネ8:29)
神の御子は相続者として栄光を受けられたが、(へブル1:2)
自分を低めてこの世に来られた
父の御心に従って天で最も低い人となり、
人類の霊魂に仕えるために来られた(ピリピ2:6~8)
主は母性をもって弟子たちを教えられた(ルカ13:34)
その方は神の本体のかたちでおられたが、自分を低め、子どもを顧みるように
他の人に仕えるための模範を示された(ヨハネ13:4~5)
私たちの信仰は永遠のいのちを探すが、(ヨハネ3:16)
私たちの生活は隣人を探す(マタイ10:6~8)
しもべは主人に仕えるし、
遣わされた者は遣わした者に従う
これが主の戒めである(マルコ12:31)
主が仕えてくださらなければ、私たちは主と何の関係もなくなる
これと同じように、私たちが兄弟に仕えなければ、
兄弟と何の関係もなくなる(ヨハネ13:6~9)
神の御心は低い者に仕えることである(Ⅰペテロ5:2~3)
○ 自分を高くするのは高ぶりであり、虚栄である
神は謙遜な者を愛して高くされるし、
高ぶる者を捨てられる
○ 信仰が成長するほど、「自分を低めて
隣人を高くする」という知恵に満たされなければならない
神は謙遜な者を高くされる
○ 仕えるというまことの心はただ母性から出て来る
母性をもつ信仰人とならなければならない
謙遜は母性から出て来る
※ 教会は自分を高くするところではなく、
ガリラヤのように低めるところである
イエスはガリラヤでその働きをはじめられた

2022. 11. 20. 自分のものを愛された主の愛 (ヨハネの福音書13:1~2)

自分のものを愛された主の愛
(ヨハネの福音書13章1~2節)

神は
愛でおられる
その方が
ひとり子を愛するように、人類を愛される
その愛は変わることがない、まことの愛である(Ⅰヨハネ4:8)
神の御言葉は愛であるために、変わることがない(ダニエル6:26)
神の御名も愛であるために、変わることがない(ローマ8:35)
神の恵みも愛であるために、変わることがない(ルカ4:19)
神は永遠に変わることがない真理でおられる(へブル6:18)
その愛によって私たちの霊魂を義とするという
恵みの宣言は永遠に変わることがない
このように
神は最後まで愛されるが、(ヨハネ13:1)
悪魔から惑わしを受ければ、
神の愛がとどまるところはなくなるし、
主の弟子であっても滅びるしかない(ヨハネ6:70~71)
悪魔が与える考えは私たちを主と切り離し、自分の道に行かせ、
結局、自殺に追い込む(マタイ27:3~5)
それゆえ、聖徒であっても試みに遭うのは
自殺するようなものである(ローマ5:12)
聖霊は私たちの霊魂を守られる
○ イエスとともにいるという者であっても
悪魔から惑わしを受けて、死ぬ
堕落して、真理を信じることができなくなる
○ 主の愛を受ける者であっても
悪魔が与える考えを入れられれば、
結局、自分の義を立てて自殺する
○ 聖霊を排除して自ら生きようとしてはいけない
神から与えられた恵みを無視すれば、
自分の霊魂を救うことができない
※ 神の御言葉は真理である
聖霊は真理でおられるし、イエスは真理でおられる
真理によって悪魔に敵対しよう

2022. 11. 13. イエスの御言葉が終わりの日に裁く (ヨハネの福音書12:44~50)

イエスの御言葉が終わりの日に裁く
(ヨハネの福音書12章44~50節)

神は
霊でおられる
その方を見た者はいない
御子だけがその方を見た
御子は
神の本体でおられる(ピリピ2:6)
その方は天の光としてこの世に来られた(ヨハネ12:46)
光はいのちである(ヨハネ1:4)
いのちは御言葉である(ヨハネ6:63)
その方が来られたのはこの世を救うためであった(ヨハネ12:47)
イエスの御言葉を聞きながらも守らない者を裁くのは
その方ではなく、
その方が語られた御言葉である(ヨハネ12:48)
その御言葉はイエスが自ら語られたものではなく、
父なる神が語られたものである(ヨハネ12:49)
イエスの御言葉、働き、力、体は
神の御言葉である(ヨハネ14:10~11)
それゆえ、イエスを拒むことはできない
これはいのちを拒むということ、
神と永遠のいのちを拒むということである(ヨハネ8:47)
神の命令が永遠のいのちである(ヨハネ12:50)
○ 御言葉に逆らう者は罪に定められる
聖霊が証しする御言葉は真理、すなわち
イエス・キリストである
○ イエス・キリストを信じるというのは
その方を遣わした神を信じるということである
神を信じるのが永遠のいのちである
○ 御言葉は私たちの目の前にあるし、さらに近くにある
御言葉を信じて従うというのは神を信じるということである
それによって永遠のいのちを得る
※ 御言葉を信じれば、真理が見える
真理が見えれば、聖霊が見えるし、聖霊が見えれば、イエス・キリストが見える
その方はよみがえりであり、いのちでおられる

2022. 11. 06. 信仰を現しなさい (ヨハネの福音書12:37~43)

信仰を現しなさい
(ヨハネの福音書12章37~43節)

神は
聖なる霊でおられる
その方が
人間が見ることができない自分を(ヨハネ1:18)
見せるために、天の天使よりも劣った人として
この世に現れた(ヨハネ1:49~50)
みすぼらしい大工の家に生まれ、
名も知られていないナザレで育ち、(ヨハネ1:46)
人の弱さと病気を知る体をもち、(イザヤ53:1~3)
むち打たれ、十字架の呪いを味わわれた
どのような恥ずかしさも気に留められなかった(Ⅰペテロ2:24)
そして、
自分の血と肉を裂いて与えられたが、
これが私たちに施された恵みであった(Ⅰコリント23~26)
その方は天の光として来られたが、この世は霊の眼が遠くて、|
その方を見ることができなかった(ヨハネ8:42~44)
その方は最善を尽くして、神の力をもって人に仕えた(マルコ1:38~39)
しかし、
このような大きな恵みを受けたとしても、
その恵みを現さないで隠す
これは栄光を神に帰そうとしない不従順である(ヨハネ12:42~43)
○ 自分が信じるものを現せば、迫害を受けるのではないか
自分が恵みを受けたということを語れば、罪に定められるのではないか
自分が救いを受けたということを語れば、殺されるのではないか
○ 神は高い所から低いこの地に来られた
どうしてこれを万民の前で証しすることができないのか?
神に背を向ける者について語られた預言が成就する
○ イエスの名によってバプテスマを受けたのであれば、イエスとひとつである
主が死ねば、ともに死ぬし、主が生きれば、ともに生きる
これが救いを得る信仰であり、永遠のいのちである|
※ イエスを恥ずかしく考えてはいけない
イエスのために死ぬことを恐れてはいけない
自分の中におられる方を証しして現そう

 

2022. 10. 30. 光の子になろう (ヨハネの福音書12:31~36)

光の子になろう
(ヨハネの福音書12章31~36節)

神は
栄光の中におられる
その方が
天で罪を犯した天使を裁きの時まで(Ⅱペテロ2:4)
暗やみに閉じ込められたが、その天使を竜とも、蛇とも、
悪魔とも、サタンとも呼ぶ(黙12:9)
その天使は天に居場所がなくなり、この地に追い出されてきた
この地は暗やみの中にあるし、悪魔は暗やみの権勢をもって抑圧する
そこでは罪が支配し、(ローマ5:21)
死が支配する(ローマ5:17)
霊魂は死を恐れ、生涯、死に縛られ、(へブル2:15)
暗やみの権勢に従い、不従順の子の中に働いている支配者に従っていた(エペソ2:2)
ついに時が来て、(ヨハネ12:31)
神の御子が悪魔の働きを滅ぼすために来られた(Ⅰヨハネ3:8)
それゆえ、この世を抑圧していたこの世の支配者は裁きを受けて、
底知れぬ所に落とされた(ヨハネ16:11)
この世の霊魂に光として来た方が(ヨハネ8:12)
私たちの心の中に入って来られたために、私たちは光の子となった
光の子は光の中で行い、光を輝かせる(マタイ4:16)
神は栄光を受けて喜ばれる(Ⅰテモテ6:16)
聖霊に満たされるというのは光をさらに輝かせるということである(ヤコブ1:17~18)
○ 私たちがキリスト者であることを誇るのは
神から来る光を受けたためである
光を誇るというのは自分の中におられる方を現すということである
○ 神の光の中にいれば、つまずくことがない
自分の霊魂を聖くして、主の日、すなわち
イエス・キリストが降臨されるときに栄光を受ける
○ 光は兄弟を愛することによって現れる
イエスの戒めに従って愛せば、光である
光の子のように行動して従わなければならない
※ 私は光の子である
光は私の中にある真理である
光を輝かせよう、光を輝かせよう、アーメン

2022. 10. 16. イエスはよみがえりであり、いのちでおられる (ヨハネの福音書11:17~30)

イエスはよみがえりであり、いのちでおられる
(ヨハネの福音書11章17~30節)

神は
永遠に生きておられる
その方が
御子をこの世に遣わされたのは信じる者が救いを受けて
神のように生きるようにするためであり、永遠のいのちを与えるためであった(ヨハネ3:16)
それゆえ、
御子はいのちであり、よみがえりでおられる(ヨハネ11:25~26)
私たちの信仰は信念ではなく、
イエスを誰だと信じるのかというものである(マタイ16:15)
イエスをよみがえり、いのちと信じるのが答えである
もちろん復活は最後の時になされる(黙20:6)
しかし、
イエスの名の権勢は天においても、地においても、
地の下においても通用する(ピリピ2:10~11)
イエス・キリストは昨日も今日も永遠に
同じでおられる(へブル13:8)
死んだ肉体が生き返るのは今の世でも十分に起こることであるし、
イエス・キリストの賜物である(マタイ10:7~8)
イエス・キリストの神癒は今の世で受ける賜物である
天国は激しく攻める者が奪い取る(マタイ11:12)
天国を攻めるように、力によって癒しを受けることを求め、
力を尽くして、主の御言葉と力の中に入って行かなければならない
主は人の霊魂、骨髄、墓まで探して、
入って行かれる(ヨハネ11:39~44)
○ 第一に、主を信じなければならない
そのようにしてこそ、癒しを受ける
○ 第二に、御言葉を信じなければならない
主の御言葉はいのちであり、生かす霊である
○ 第三に、信じて従ってこそ、しるしが現れる
イエス・キリストのしるしは証しである
※ 静かな宗教人がもつ徳望に陥らないで、
はね回る子牛のように活動し、
信じることを口で認め、主に栄光を帰そう